画像生成AIと芸術と未来

未来予想

こんにちは!トモです。

今日はAI画像について少し書きたいなと思います。

これからの将来、僕はAIと人間は切っても切れない時代になっていくと思います。

僕はというか、全ての人がそう考えていると思いますが。

今までにもAIが将棋や囲碁のプロを負かしたとかそういったニュースはありました。

他にも翻訳技術が飛躍的に向上したのはビッグデータとディープラーニングのおかげとか。

で、今日僕が取り上げたいのがAI画像の世界。

人がいくつかの単語を入力するだけで、AIが自動的に絵を生成してくれるというもの。

そこで、最近よく耳にする「Midjourney」を僕も実際に使ってみたのですが、、、すごい。

ディスコード内で単語を入力して投稿。すると、1分もしないうちになんだか幻想的な絵を四枚作成してくれます。

例えばこれらは僕がMidjourneyを使って生成した画像です。

無料版でも25枚まで作成可能で、有料版なら作成可能枚数が増え、さらに商用でも使用可能といった感じです。

コンテストで優勝してしまったAI画像

Midjourneyで最近有名になったニュースがあります。

画像生成AI「Midjourney」の絵が米国の美術品評会で1位に 優勝者「物議を醸すことは分かっていた」

そう、AIによって生成された画像が品評会で優勝してしまったのです。

補足すると一応「デジタルアート部門」での優勝。

しかし他の人たちは人間の手でデジタルアートを作成していたのに対して、この優勝者はAIが作成したものに少しフォトショップなどで修正を加えた程度だったそう。

ここで僕が注目したいのは、AI画像を出してよかったのかとかいうことよりも、人間の作ったものより、AIが作ったものが評価される世界が到来したということです。

これこそ一種のシンギュラリティと言えるのではないかと僕は思います。

今後、絵画も音楽も小説も全てAIが創造したものの方が人間の創造したものより圧倒的なクオリティになった場合、人類は芸術の面でAIに勝てなくなってしまう。

そうしたとき、人は芸術とどう付き合っていくべきなのか。

新しい芸術を生み出す人類

例えば昔、まだカメラもなかった時代、どういう絵が「上手い絵」とされてきたか。

それは現実をいかに忠実に二次元の紙の上に再現できるか、写実的な絵こそが評価の対象となっていた。

しかし、そこにカメラという圧倒的に現実を忠実に写実してしまう機械が現れて、人はカメラに敵わなくなった。

そこで人間は次に、カメラが創り出せない印象的絵画、抽象的絵画、いわゆるキュビズムと言われるものを生み出していった。

が、そこにAI画像が到来して、この分野にもディスラプションが起きようとしている。

そうした場合、人間が次に目指すのはAIにも創り出せない芸術ということになると思う。

人間が持っていて、AIが持っていないもの。それは「ムリ・ムダ・ムラ」ではないかと思う。

例えば音楽家ジョン・ケージの「4分33秒」という作品。

これは果たしてAIが作ることができるのだろうか。人間だからこそ生み出せた芸術なのではないか。

そう考えると、AIはいかに優れていたとしても、過去の膨大な既出データを元に何かを創造する。

しかし人間はそこにはないものを参照して(参照する対象すらないのだが)新たなものを創り出す。

ここに人間とAIの差があると僕は思います。

参照するものがないからこそ新しいものは評価されづらい。なぜなら人間は過去の痕跡に沿ってでしか評価ができないから。

だからパブロ・ピカソの絵を理解できる人は少ないのだろう。(僕も理解できません笑)

しかし多くの人が理解できないからこそ新しい何かを生み出したということになる。

産業アートはどうなるのか

AIの創り出せない芸術(ムリ・ムダ・ムラのある芸術)で人間が活路を見出すとして。

産業アートはどうなるのか。つまり、ビジネスで利用されるアート。

例えばCDジャケットや本の表紙、挿絵。その他広告などに使われる絵など。

今は企業がアーティストにデザイン料などのお金を支払って作成を依頼している。

アーティストは数日間〜数ヶ月かけて作品を作り納品する。

しかし、AI画像なら1日と言わず、数分の間に何百という作品を生成してしまう。

しかも圧倒的にコストはAIの方が安いのだ。

そうなった場合、企業は人ではなくAIに仕事を発注するようになるだろう。

産業アートで生きている多くの人の仕事は失われてしまうのではないか、と考えてしまう。

人間かAIかわからない世界

有史以来、人類は数多くの芸術をこの世に生み出してきました。

僕達は博物館や美術館に行けば、1000年前の芸術に触れることもできます。

しかし、この2000年の間に生み出された全ての芸術作品(評価される芸術だけに限らず人類が生み出したありとあらゆる創作物)を合わせても、ン百億には満たないと思う。

これからはAIが世界中で1秒間のうちに何百万と作品を創造し、あっという間に兆の数を超えるものをこの世に生み出すようになったとしたら。

人類の作品はAIの作品の影に隠れてしまう。

また、目にした作品が人間によるものなのか、AIによるものなのかの判別がつかない世の中になってしまう。

これが良いことなのか悪いことなのかは実際にそのような世界にならないとわからない。

♢♢♢

とにかくこれまで人類は(ムリムダムラだらけの)無秩序な世界をいかに秩序だった世界にするかに苦心してきた。

エントロピーは常に増大していく中で、それを抑える必要があり、その中で法律や医療やルールやインフラ、ありとあらゆるものを作り、秩序を守ってきた。

その最終解こそがAIだと僕は考える。AIこそがあらゆる情報の中から最適解を探し出して提供してくれる。

人間のムリムダムラのある思考から導き出される解答ではなく。

しかし、そのAIが人類の世界を脅かし始めているのも事実である。

AIが当たり前になった世界で人類が生き延びる唯一の方法は、今まで必死に削ぎ落とそうとしてきた「ムリ・ムダ・ムラ」を逆に突き詰めるという。

AIにはできない、人類にしかできない世界をいかに作り上げるかということ。

技術進歩は不可逆性である中で人類は後退するわけではなく、後を向いて堂々と進んでいく。

そこにこそ人類の生き延びる活路がある。と考えるとなんだか面白い。

って話でした!

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