[未来予想]アバターというもう一つの人生

未来予想

こんにちは!トモです。

今日は大学生に有益な情報というよりは、、、完全に個人的に書きたい内容の記事になっています。。笑

特に僕は未来予想?をするのが好きで、今のテクノロジーが将来どういう使われ方して、人々の生活はどうなってるだろうかと想像するのが好きなんですよね。

これまでにも、一人一台ヒアラブルデバイス、スマートリング、AI執事、一家に一台3Dプリンターと色々書いてきました。

で、今日のテーマは、将来人間は一つの命、一つの人生ではなくなるかもしれない。いくつもの人生を経験できる時代が来るかもしれない。というお話です。

その鍵になるのがアバター。

アバターとは

アバターというと、昔アバターという名の映画が流行りましたね。

英語でavatar

意味は化身、具現、権化といった意味で、インターネット上の仮想世界で利用できる自分の分身のようなものとして認識されている言葉ですね。

ただ、今日の記事で書いているアバターとはそういった仮想空間の分身ではなく、実際のこの現実世界における自分の分身をアバターと定義づけています。

自分の分身とは?

もちろん生身の分身とか、ドッペルゲンガーというお話ではなく、現実世界の分身とはつまりロボットです。

ロボットかい、、と。笑

現在のロボットはすごい

ロボットって言っても結構ピンキリだと思います。

僕は普段ブラーバという拭き掃除ロボットを利用して、床掃除をしてもらってるのですが、これがまた結構優秀で。

健気に掃除し続ける姿は可愛いし、もちろんブラーバが掃除をしてくれている間自分は別の作業ができる。

ロボットなんでエネルギーは電気。電気供給さえしておけば、尽きるまでいつまででも働いてくれる。

人間はいくら美味い飯食ってエネルギー補充したと言っても、永遠働いてられない。

体力と感情がついていけないですよね。でもロボットは体力無尽蔵、そして無感情といった無双状態で、いつまででもどこまでも働いてくれる。

頭では分かっていても、実際にブラーバを利用し始めてその凄さを日々実感しています。

僕なんかだったらこのブラーバロボだけで相当すごいな〜と感心できちゃうのですが。

もちろん、世の中にはもっとすごいロボットがたくさんいるわけで。

普通に歩く走るだけじゃなく、パルクールとかできるロボットが開発されてたりしますよね。

※もちろん実は何度も失敗している中でたまたまうまく行った動作だけを録画して配信しているそうなので、ロボットだからと言って常に完璧に動けるわけではまだまだないそうですね。

あの東日本大震災の時も、外国から寄贈されたロボットが人が近づきにくい原子炉での作業に大活躍したそうです。

ロボットの活用方法

今、VRをはじめとしたMRやARといった技術が相当進んでいますよね。

あれ、よく考えたら、ロボットにカメラをつけて、その視線をゴーグルで認識すれば、現実世界のVR、というかもはやR(リアリティ)体験になる。笑

実は、寝たきりの身体に障がいがある方が、ロボットにカメラを装着してそれを遠隔操縦することで、レストランの給仕ロボとして働く、といったことが実際にこの日本でも行われているそうです。

働くことが難しい人の雇用を創出しているし、実際の身体性を必要としなくても、ロボットによる代替的新体性で働くことができるって、これは一種のアバターではないか、と思いました。

そうしたら、別に働く以外にも、遠隔でロボットというアバターを操作することで、実際にお出かけすることができたり、観光したり、買い物したり、いろんなことができるなと。

エクストリームスポーツ

これはあくまで未来の想像、いや、妄想話なので結構好き勝手書かせていただきますが。

ゴーグルによる視認性以外にも、音、触感、実際の体を使った身体性をアバターに反映できる、とかまでなってくると、正直もう一人の自分を自分がコントロールして、なおかつアバターが体験することを自身の体でも体感できる、みたいな時代が来たら。

例えば、家に居ながらにしてアバターだけを操作して海にヨットで航海に出ることも可能だろうし、もしかしたらスキューバダイビングができたり、スカイダイビングができたり、はたまた登山に挑戦してみたりと、いろんなことが可能になりそう。

いやいやスポーツくらい自分の体でしなけりゃ意味がない、って声もあるかと思いますが。

でも、例えば過酷な登山に挑戦して、遭難して、、と最悪なケースが想像できるわけですが、もしアバターで挑戦したなら、アバターが動かなくなって終了。自分の命には別状はない。

健康のための運動、スポーツというより、身の危険のあるスポーツ、エクストリームスポーツに命の危機を回避して挑戦できるってのは一つの魅力だと僕は思います。

怪我する心配もないので、安心して超危険なエクストリームスポーツに挑戦できる。とか。

人のいけない場所へ

先ほど、東日本大震災の時にロボットが活躍したと書きましたが。

当然原子炉で長時間作業するとなると被曝するリスクが伴うわけで、しかしそれがロボットであれば、遠隔操作するだけなので、生身の人間としての危険は避けつつ、現場で作業できるロボットは超有用。

そのように、例えば人がいけないような場所や長時間滞在できないような場所でもロボットなら簡単にいけるわけで。

しかも燃料が続く限り動き続けることができるのも一つの魅力ですよね。

超寒いところ、超暑いところ、宇宙、海底、はたまた別の惑星などなど。

鳥にも魚にも

上の「人のいけない場所へ」にもかぶりますが。

何もアバターは人型である必要はないのかなとも思います。

ドローンをタケコプターのように頭に引っ付けて空を飛ぶこともできるし(勝手に断言)、人型のアバターが重いなら、別に鳥型になってもいい。

人型のまま海に潜るのは抵抗が大きいなら、海の中は魚のアバターになってもいい。

人間は身体性の変化ができないので、自分の体を無理やり環境に合わせる必要があるけど、アバターであれば環境に適した身体性に変化させればいいだけ。

一つの身体・時間で二つ以上のことが可能

人は皆、一つの体、一つの時間軸しか持ち合わせていません。

その中で体をどう使うかで、人生の生産性は大きく変わってきます。

例えば身近な例で行けば、通勤や通学時に何もせずにただ電車に揺られているのと、電車に乗りながら英語の勉強をするのとでは、どちらが生産性が高いかといえば当然後者。

前者は一つの時間軸の中で「通勤・通学」という一つの行為しか行っていないのに対して、

後者は「通勤・通学」と合わせて「勉強」の二つの行為を同一時間軸の中で消化している。

もし英語を勉強しながら、スクワットをすれば、三つの行為をこなしていることにもなる。笑

所謂「ながら」は同一時間の中でいかに多くのタスクをこなせるかが、時間をどれだけ有用に使うことができたか、ひいては時間当たりによる生産性と関係してくる。

しかし現代では、同一時間軸の中でいかに多くの物事を詰め込むことができるか、でしか生産性の向上は図れなかった。なぜなら体は一つしかないから。

しかし、もしアバターを扱うことが可能になったらどうなるか。

例えば、生身は通勤通学をしつつ、その間アバターを操作して家の掃除や洗濯をすることも可能。

通常、物理的に離れた場所で二つのことを同一時間軸で行うことは不可能ですよね。

しかし、アバターの時代になれば、それも可能になる。

生身は大阪にいながら、アバターだけ東京に出張するとか。笑

なんなら、一人で5体、10体のアバターを操作できるようになったらどうか。

何も全部を同時に自分が扱う必要はなく、例えばある程度操作性をインプットしておいて、自動操縦させ、必要な時にアバターAに入って遠隔操作する、次はアバターBに入って遠隔操作する、みたいな感じでもいい。

一人で二人以上操作できれば、人口減少という問題も全く問題にならなくなる。かもしれない。

アバターにはそれくらい、可能性があるんじゃないかなって僕は考えます。

って話でした!

P.S.有益もへったくれもなく、今日の記事はただ書きたいことを書かせていただきました。

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