時間を創出するビジネスを考えたら教育に繋がった話

時間

こんにちは!トモです。

このブログは主に、人生の黄金時間に当たる大学生活を送られている方に向けて、自分自身が大学生の時に知っていたら嬉しかったな的な知識を発信しています。

3年半バックパッカーで世界を旅した経験と今まで3千冊以上の本を読んで学んだことをベースに記事を書いています。

最近の記事のテーマが「時間」「時間」ときて、今日も時間です。でも、今日は「時間とは何か」的な哲学物理学の方ではなく、ビジネスの方面で「時間」について考えました。

というより時間を創出するビジネス」って何かないかなって思ったんです。

人類は原始時代から現代までかなり進化、進歩しましたよね。テクノロジーの発展とともに。で、この進化の伸び方をグラフにすると、たぶん指数関数的な伸び方をしてると思うんです。

指数関数的成長曲線グラフ

最初の方は平坦なのに、急にグンと伸びていく。

なぜy=axのような算術級数的ではなく、指数関数的に成長、進歩したのか。その理由の一つが人類が扱える時間が時の経過と共にどんどん増えた」からなのだと僕は思います。それではなぜ人類の扱える時間の総量が増えたのか。

人類全体の時間が増えた理由①人口増

人類(全体)の扱える時間の総量が増えた理由の1つは超明確で、単純に地球の人口が増えたこと。

人類の増え方というのも算術級数的ではなく、指数関数的に増えると言われています。(マルサスの人口論)日本なんて、200年前の総人口3000万人です。それが今では1億2千万、、、。

世界人口も僕が子供の頃は60億人とかだったのが、今では70億を超えてます。。人口が爆発的に増加したことが、増加した人数x24時間が毎日増えるのだから、それは経済もテクノロジーも発展するだろうと思います。

全体数が増えれば天才が生まれる確率は増えるわけで、そうすればイノベーションは起きやすくなるし。人口が純粋に増えていけば生産量は確実に増えていく、世界に富が増えていくので経済発展もする。→新たなテクノロジーの進化につながる。

人類全体の時間が増えた理由②技術進歩

人口増が経済やテクノロジーの発展に寄与したと書きました。

すると次に、テクノロジーの発展、つまり技術進歩が何を生み出したか。

そう、最大の価値は時間を生み出したこと。

どういうことかというと。

超原始時代

まだ火を扱う前の人類は食べることに6〜8時間の時間を費やしてたそうです。

なぜなら、口にするもの全てが固いから。でも火というテクノロジーを発明?してからは、調理をすることができるようになったおかげで、食材を柔らかくすることに成功→食料が食べやすくなり、結果食事にかかる時間がうんと減ったそうです。

農耕時代

人は木でできた道具を使って田畑を耕してました。そこに技術発展が訪れて、青銅や鉄の農具が開発される。すると、今までよりも楽に田畑を耕すことができるようになる。すると、5時間かけていた作業が1時間で済むようになる。(例えば)

そうしたら今までと同じ作業(アウトプット)でも、時間が短縮されたので生産性は向上したと言えます。また、4時間の新しい時間を創出できましたよね。

さらに時代は進んで

他にも移動手段はもっぱら徒歩だった人類が馬を扱うようになって移動時間を短縮し、車、電車、船や飛行機とどんどん新しい移動手段を発明して、どんどん移動距離にかかる時間を短くしていった。

家庭で言えば、現在ではさまざまな機械が人間の仕事を代わりにやってくれるようになり、炊事掃除家事洗濯は全てボタン一つで終わる時代に。

他にも技術進歩による時間創出の恩恵は至る所にあります。

こうして人類はどんどん技術進歩によって、新しい時間を創出していき、そうして生まれた新しい時間を利用してさらに技術進歩をしていった。

これが進化進歩を指数関数的に伸ばしていったのだと思います。

少し話はずれますが

世界で一番初めに産業革命をした欧州。

彼らは世界に先んじて技術進歩をしたからこそ、膨大な時間を手にして、その時間を別の研究に投下することができた。それが世界の覇権を掴むことにつながったんじゃないかなと思います。

ちなみに産業革命前も戦争とかはありましたが、ユーラシア大陸よりはまだマシだったのと、地理的に寒い位置に位置することで、いち早く生活を安心安全快適にするために人々のマインドが向かっていった。

人々の時間をそれらのことに使えたから発展も早かったのでしょう。ユーラシアステップは、、争いに次ぐ争いで、人々は時間を浪費して疲弊していっただけだった。。歴史の素人の戯言で聞いてください。笑

進化はもう頭打ちなのか?

僕はこの技術進歩と時間の創出こそ、人類だけに与えられた素晴らしい仕組みだと思っています。

実はこちらの記事でも、この時間の創出(余暇)がいかに素晴らしいか書いてます。

書評-夢をかなえる一番よい方法

そこでふと思ったんです。

ビジネスは何か価値を創造してマーケットに出し、それに価値を見出す人がその商品やサービスにお金を払う。そうして本当に人々に価値あるものを提供した人がビジネスで成功していく。(この場合の成功は利益を出していくということ)

もちろん本当の価値がなくても、上手にマーケティングすることで人の欲望につけいって騙して利益を上げる、みたいなことも往々にしてあるのがビジネスの世界ですが。

それでは「本当に価値のあるものを提供する」とは一体何を提供すればいいのだろうかと考えた時に。「時間」を提供することができれば、それこそ何よりも価値があるものだなって思いました。

しかし、時間は切り売りできるものではありません。どこかで安く仕入れて高く売ることもできない。

どうやって時間を提供するのか?

それは「はい、2時間ですどうぞ」といった感じで提供するのではなく、今どうしても時間の掛かってしまうものを、現代のテクノロジーを駆使して、それにかかる時間を減らしてあげる、つまり減った分の時間が手に入る。

こうして時間を提供することができたら、それはとても価値のあるものではないかと。

単純に時間が減ったラッキーな話ではなく、人類は1日24時間と限られている中で、もし新しく自由な時間を手にすることができたら、それを自分の人生のやりたいことに使うことができる。

これほど贅沢なことってないですよね。

と、ここまで考えて、次に自分の(人類の)生活を振り返ってみた時に、気づきました。

そもそも、もう、ほとんど人類の時間は時短されきっているんじゃないか?って。笑

一般的な人の1日の時間を考えてみる

ここで非常に裕福でお手伝いさんが何人もいるような人の生活を創造しても意味がないので。

ごく一般的な人が、1日の時間をどのように過ごしているか考えた時、大体以下のような時間の使い方になるんじゃないでしょうか。

※単位は時間

  • 睡眠8
  • 仕事(勉強)8
  • 食事1.5(朝昼夜30分x3回)
  • 移動2(通勤・通学・その他)
  • 風呂や身支度、休憩1.5
  • 雑事・自由3

大体24時間の割り振りはこんなものかと思います。

もちろん夜中までゲームしてるとか、勉強してるって人。毎日お風呂は1時間以上入る人、もしくはシャワーで5分だけな人。それぞれあると思います。

あくまで一般的な、平均的なって感じです。

次に、それぞれのカテゴリーをもう少し詳しく見てみると、結構すでに至る所に技術進歩による時短は行き届いてしまっているなとわかります。

  • 食べる→完全栄養食で食べる時間短く幅広い栄養摂れる
  • 買い物→フードデリバリー利用、ECでオーダー
  • 料理 →フードデリバリー利用
  • 洗い物→食洗機、使い捨て食器利用

  • 服選び→コーディネート(アプリ)
  • 買い物→ECサイト(試着、無料返品可)
  • 洗濯 →乾燥機付き洗濯機

  • 家具家電→レンタルサブスクサービス
  • 掃除→床掃除→ルンバ

    片付け→代行サービス

     風呂→洗剤スプレー

読書

  • 本要約チャンネル
  • フライヤー(アプリ)

動画

  • サマンサ(アプリ)
  • ショート動画

ちょっと最後の読書と動画は余分だったかもですが笑

このようにテクノロジーを使えば、全部ボタンピでできるようになった現代。

&時間の流れが加速しているから、どんどん時短、手短かに、ショートに世の中が移行している。

もう残すべきは、いかに効率よく勉強するか、仕事するか、寝るかくらいしか残されていないのかなと思いました。

まあ、もう少しニッチに攻めれば、お湯が一瞬で湧くとか、髪を乾かすドライヤーが一瞬とか、歯磨きが一瞬とか、小さなことを極めていけばまだまだあるんだろうけども。

睡眠のことを考えてみる

睡眠。もはや人類の生活で一番大切と言っても過言ではない。

ここは時短するよりもむしろ増やしたほうがいいくらい

なので、睡眠分野でテクノロジー進化による時短は、、希望薄?枕とか寝具の開発がより快適で良質な睡眠を提供する、とかはありだと思いますが。時間に関していうと、あまりここに手をつけたくはない気も。笑

仕事のことを考えてみる

もう、これは考え出したら宇宙でした。笑

だって、この世には五万という職業があって、さまざまな分野に数千という企業がシノギを削って企業努力で争ってる。必死に生産性上げようと。

これもポイントで言えば、例えば物流の無駄をなくすとか、探せば色々あるんだろうけど。僕のような人間がサクッと答え出せれば、もうここでブログを書いてなんていないですよね。ここに口を出すのもちょっと違うかなと。

教育のことを考えてみる

最後は教育分野。

教育こそ、テクノロジーをもっと活用して、個別最適化された授業を実施していくべきだと、僕は常々考えています。

というのも、現代の教育制度ってめちゃめちゃ古く、それをずっと引き継いでるから。そもそも、学校や教室、教師と生徒という仕組みをよく考えてみると。

まず、先生という存在(人にものを教えられるだけの知識を有している存在)は非常に貴重だった。貴重ということは当然数も少ない。

生徒1人に1人の先生がつくことは不可能なので、先生1人に対して、生徒40人くらいの「教室」という仕組みが当然発生する。そして、7歳の子と10歳の子とでは脳の発達が違うので「学年」という仕組みも当然生まれてくる。

そうやって、ある一定の地区の子どもたちを一挙に集めて学年とクラスに分けて教育する学校という仕組みが生まれたことは、これはごくごく自然なことだと思っています。

でも、当然物事を覚えるスピードや理解度、理解力、興味、好き嫌い、得手不得手、みんな違うわけで。しかも、同じ学年と言っても、4月1日に生まれた人と、3月31日に生まれた人とではもう1年も違いがある。

※日本の学年は4月1日生まれから3月31日生まれが一緒の学年になる。3月31日生まれの人はどう考えても不利。知能の発達スピードは人それぞれかもしれませんが、身体的成長を考えると、絶対不利、、、。

※昔、カナダのホッケーチームが強豪校の特色を調べた時に、なんとほとんどの学生が9月や10月生まれで構成されたチームが一番強かったという調査結果が出たそうです。

海外では学年の始まりは9月から。ということで、9、10月生まれの生徒は同じ学年の中でも一番年上ということ。

身体的成長が他の人よりも早い分、パフォーマンスも高かった、みたいなことだと思いますが。

これまで、テクノロジーが追いついてなかった時代は、学校、学年、クラスをこういう風に分けることは合理的だったかもしれません。

しかし、クラスの授業が平均的理解度の子に合わせて進められる場合、理解度の早い人は理解度の遅い人に合わせないといけないし、理解度の遅い人は早い人に合わせないといけない(ついていけない)。

これはとっても非合理だし、そうして遅すぎる、もしくは早すぎる授業をされたことで、それぞれの生徒が持っている本来の能力が発揮することができず、それが将来的に人生に大きな影響を与えてしまいます。

そう考えると、理想的な教育学習というのは、その人に一番あった方法、スピード、やり方で実施されるべきで。しかも現在はテクノロジーを活用すればそうした授業は不可能でもない時代になってきた。

個別最適な教育、授業を行うことが、すべての子どもの能力を一番最大限に発揮できることにつながり、ひいては学習能力の向上は子どもたち一人ひとりの自己肯定感上昇や、最終学歴の向上につながると思います。

そして、また一人ひとりにマッチした教育、授業こそ、これまで「誰か」のスピードに合わせて実施されていた授業スピードから解放されるので、例えば数学を学ぶのに500時間かかっていたのを300時間で終えることもできるということです。

そうすれば、余った200時間を別の科目に費やすこともできる

全ての科目を平均的に時間をかけて学ぶよりも、得意不得意に合わせて、時間分配した方が遥かに合理的だと思います。

ということで、現代においてテクノロジーを活用して時間を創出するべき分野は教育なのかもしれない、というのが僕の結論です。

日本人が英語を習得するのにかかる時間は2700時間

時間と教育に関して言及すると僕はもう一つ言いたいことがある。

それは、英語学習に時間かけすぎなこと

日本人が英語を習得するのにかかる時間は約2700時間と言われています

日本人が英語習得するのに必要なのは2760時間

2700時間って、毎日1時間勉強して7年ですよ?笑

日本語と英語は言語的にとても離れているから、お互いにお互いの言語を習得するのに時間がかかると言われています。ならば、もっと英語に時間を割かないと最終的に使い物にならない。

逆にいうと、大学まで1000時間以上を割いて勉強して、最終的に使えずに終わるくらいだったら、いっそ諦めてその1000時間をもっと違う分野に使ったほうがいいんじゃないか、とも思います。

また、英語に関しても、なんとなく文法やって、単語覚えて、っていうのが日本の英語教育ですが。それじゃいつまで経っても話す聞くの能力は培われないし。文法や英単語の習得にも実はもっと別のやり方があったりしないのかと思ったり。それこそ、人それぞれ暗記が得意な人、実践が得意な人、それぞれだと思います。

一律に同じように勉強する、させるのではなく、その人にあったやり方、方法で、それぞれ自分の能力を最大限発揮できる方法で学ぶことができたら、英語習得にかける時間はもしかしたらもっと短時間で終えられるかもしれない。

教育の技術革新、エドテック(Education Technology)によって、学習時間を最適化、効率化させることで、今まで無駄にかけていた時間を削減する、時間を創出することができる。

そうして創出した時間をもっと別のことに使うことができるようになる。特に学生の時代の時間っていうのはどの時代よりも最も貴重だと思います。その時間を有意義に使える時代が来ればいいなと僕は思います。

こんな時代だからこそ、あえてゆっくり過ごす

ここまではいかに新しい時間を創出するか、そして生まれた時間を効率よく使うかについて述べてきましたが。実は僕はあんまりせかせかするのが苦手なので、効率化!生産性向上!資本主義!競争!みたいな世界観が苦手です。笑(ここまで書いておいて)

なんか、もちろん貴重な時間を無為に過ごすことは勿体無いことではあるのですが、でも、休日にベッドでコロコロとしてる時間を至福に感じる人もいると思います。庭や自然の中でゆっくりご飯を食べたり、田舎道を散歩してみたり。

そういう時間の過ごし方もありだと僕は思います。

ということで、こんな時代だからこそ、「時間」だけに目を向けた時に、いかに効率的に時間を創出するかではなく、逆にいかにこの貴重な時間を存分に満喫して過ごすことができるか、という方面で考えてみるのもいいのかなと。

いきなりテーマからはずれますが。これまでは成果に対する報酬がインセンティブとなってみんな頑張ってきた時代ですが。これからは、報酬よりも貴重な時間を大切に使う時代

自然に触れてゆっくり過ごす時間に味わう幸福度の方が、年収がアップした幸福度よりも高いかもしれない。笑

これまでお金をベースにした裕福度や物質的豊かさに向けられていた人々の目が、これからは幸せをベースにした満足度や精神的豊かさに向けられる時代がやってくるのかもしれません。僕はそっちの方が幸せに生きられそうだなとか勝手に考えてます。

と今日もなんだか自由につらつらと書かせてもらいました。結局 笑

って話でした!

 

日本であれば中学生から英語を勉強していると言っても、週に2コマとかですよね。(今はもっと多いかな?)1コマ50分とすると、1週間に100分、1年でたったの86時間。3年間で258時間。

高校生になれば、週に4コマくらいだったかな。それでも1年で516時間。大学で理系文系、どこに進むかで英語の勉強時間は変わってきますが。1、2年は1週間に2コマ(1コマ90分)あったとすると、2年間で、312時間。

ということは、中学から大学修了まで1086時間。もし大学3、4年も同じくらい勉強したとしても、1398時間。

2700時間に到達するためには、社会人になってさらに1300時間の勉強が必要。そりゃ、多くの人が英語習得できないわけです!!

日本語と英語は言語的にとても離れているから、お互いにお互いの言語を習得するのに時間がかかると言われています。ならば、もっと英語に時間を割かないと最終的に使い物にならない。

逆にいうと、大学まで1000時間以上を割いて勉強して、最終的に使えずに終わるくらいだったら、いっそ諦めてその1000時間をもっと違う分野に使ったほうがいいんじゃないか、とも思います。

また、英語に関しても、なんとなく文法やって、単語覚えて、っていうのが日本の英語教育ですが。それじゃいつまで経っても話す聞くの能力は培われないし。文法や英単語の習得にも実はもっと別のやり方があったりしないのかと思ったり。それこそ、人それぞれ暗記が得意な人、実践が得意な人、それぞれだと思います。

一律に同じように勉強する、させるのではなく、その人にあったやり方、方法で、それぞれ自分の能力を最大限発揮できる方法で学ぶことができたら、英語習得にかける時間はもしかしたらもっと短時間で終えられるかもしれない。

教育の技術革新、エドテック(Education Technology)によって、学習時間を最適化、効率化させることで、今まで無駄にかけていた時間を削減する、時間を創出することができる。

そうして創出した時間をもっと別のことに使うことができるようになる。特に学生の時代の時間っていうのはどの時代よりも最も貴重だと思います。その時間を有意義に使える時代が来ればいいなと僕は思います。

こんな時代だからこそ、あえてゆっくり過ごす

ここまではいかに新しい時間を創出するか、そして生まれた時間を効率よく使うかについて述べてきましたが。実は僕はあんまりせかせかするのが苦手なので、効率化!生産性向上!資本主義!競争!みたいな世界観が苦手です。笑(ここまで書いておいて)

なんか、もちろん貴重な時間を無為に過ごすことは勿体無いことではあるのですが、でも、休日にベッドでコロコロとしてる時間を至福に感じる人もいると思います。庭や自然の中でゆっくりご飯を食べたり、田舎道を散歩してみたり。

そういう時間の過ごし方もありだと僕は思います。

ということで、こんな時代だからこそ、「時間」だけに目を向けた時に、いかに効率的に時間を創出するかではなく、逆にいかにこの貴重な時間を存分に満喫して過ごすことができるか、という方面で考えてみるのもいいのかなと。

いきなりテーマからはずれますが。これまでは成果に対する報酬がインセンティブとなってみんな頑張ってきた時代ですが。これからは、報酬よりも貴重な時間を大切に使う時代

自然に触れてゆっくり過ごす時間に味わう幸福度の方が、年収がアップした幸福度よりも高いかもしれない。笑

これまでお金をベースにした裕福度や物質的豊かさに向けられていた人々の目が、これからは幸せをベースにした満足度や精神的豊かさに向けられる時代がやってくるのかもしれません。僕はそっちの方が幸せに生きられそうだなとか勝手に考えてます。

と今日もなんだか自由につらつらと書かせてもらいました。結局 笑

って話でした!

 

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