進化を選ぶか退くかという残酷な世界

仕事

こんにちは!トモです。

今、時代の流れって本当に早いなって思います。

というのも、今は本当に情報過多な時代。

何かの本で読みましたが、現代人が1日に受け取る情報の総数というのは、江戸時代に暮らしていた人が300年の間で得られる情報量に匹敵する量なんだとか。

情報のシャワーがすごい、、、笑

ってことで、インターネットによる情報のビックバンが起きて以降、情報同士のつながりも今まで以上に早く大きくなったことで、より人類の進化、科学の進化は素早くなったように思います。

10年前にガラケーを触ってたと思ったら、今はスマホが当たり前。しかも毎日絶対必ずどこにいくにも持ち歩くような時代に。

もちろん便利にはなっている。

でも、文明自体は進化しているかもしれないけど、人類の生態的進化はそれに順応しているのだろうか?と思うと僕は疑問である。

昔は痴呆が来る前に寿命を迎えていたけど、今は医療の発達で100歳まで生きられるようになった。しかしその反面寝たきりになったり、体が動かなかったり、痴呆がきてしまったり。

これって本当に健康的に生きてるって言えるのかな?って時たま思ってしまうんです。

ベッドに年中寝たきりで腕に刺された針と管から栄養が流れてくることで、なんとか生きながらえる。

でも、それって本当に生きてると言えるのだろうか?って。

これは文明進化の負の側面なんじゃないかって思うこともあります。

ちょっと話がずれてしまいましたが、何が言いたいかというと、進化のスピードが年々早くなってるってこと。

江戸時代は生まれてから死ぬまで、世の中、身の回りのことがそんなに変化することはなかった。

二十歳の頃の考え方やり方が60歳の頃になっても通用するのが昔の時代だった。

パソコンやワープとがなかった時代は、仕事はもっぱら電話と紙だった。

それは入社した時から退職するまで変わらない。

でも、今の時代はワープロができた、パソコンができた、スマホができた、アプリができた。

自分の生きてる間にどんどん技術は進歩して、しかもそれを使いこなせないと時代の波に乗っかれない。

僕がよくする話なのですが。

昔戦国時代、当時は刀で一対一で戦うのが主流で、剣術が強い人間が武将になったり、地位が上がる仕組みだった。

そこに、銃という新しいテクノロジーがやってきた。

銃の扱いは剣術を磨くほど難しくはなく、誰でも使えた。

そして足軽でも武将を倒せる時代になってしまった。

ここで大きくゲームが変わってしまった。

そうすると、今まで剣術を極めていた人間はそのスキルが一夜にしていらなくなってしまったのだ。

剣術を極めるより、戦略を極めた方が良い。どのようにして銃を扱って戦うかという戦略を極める方が大切になった。

そこで、剣術を極めてきた人間はどうするべきか。

このまま銃という最新技術を見て見ぬふりして自分の磨いてきた剣術にすがることもできる。

しかしもう世間で必要とされない剣術にすがったところで食い扶持がなくなる。

となれば、磨いてきた剣術というスキルを捨てて、新しい技術(銃)に携わる必要が出てくる。

なんとも残酷な話だと僕は思う。

今まで多分こういうゲームチェンジは色々と起きていたはず。

でもそう頻繁でもなかったと思う。

人生に1度や2度、大きなゲームチェンジに見舞われた時、進化の道を選ばざるを得ない。

そうしないと生き残れないから。でも、1度や2度で良かった。

それが、今の時代、数年に1回はやってくるほどのスピードでゲームチェンジが行われる。

その都度、現代に生きる僕達は進化を選ぶか選ばないかの選択を迫られるのだ。

進化を選ばないということはつまり、死を選ぶということ。

本当の意味での死ではないけど、要は時代の波(進化)を一度やり過ごしてしまったら、次に同じ波が来るとは限らないし、一生前の波に追いつけないかもしれない。

そういう進化のスピードがとてつもなく早い、なんとも残酷な世界に生きているってことを理解しておく必要があると僕は思う。

って話でした!

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