キャンプと旅の共通点

人生論

こんにちは!トモです。

私事ですが、最近引っ越しをしました!

しかも庭付きに。

で、どうしてもやりたかったのが、お庭での朝食。笑

庭モーニング。

めっちゃいいです。

お庭で太陽の光を浴びて、コーヒーを飲みながらパンを食べる。これだけで本当に最高です。

お手軽お家キャンプ。

で、なんで庭で朝食を食べるだけでこんなに気持ちいいんだろうって考えたのですが、これって旅の時と全く同じだって気づいたんです。

日本の忙しい社会で生きていると、ついつい朝食をスキップしたり、食べるにしても急いでかきこんだりして、

ゆっくりと味わうことってあまりないですよね。

でも、旅の時間って、本当に一日何もしないでもいいので、朝食もゆっくり食べながら、今日の予定を立てて、、みたいな感じで進みます。

僕はあの時間が最高だったんですよね。

なので、お庭モーニングして、旅していた時の、ゆっくりと流れる時間が戻ってきたようで、嬉しくなって何度も庭モーニングをしてるって感じです。

そこで、お庭モーニングをプチキャンプ体験とするならば、なぜキャンプと旅ってこんなにも人を惹きつけるのだろうって考えたんです。

今日はそのことについて書きたいと思います。

キャンプと旅に共通する3つのこと

キャンプと旅で何が似てるのかって考えた時に、3つ思い浮かびました。

  1. 社会断絶
  2. 原点回帰
  3. 地球時間

なんかまとまりつくように四文字でまとめてみました。笑

1、社会断絶

社会と断絶していいのかと思われそうですが。いいんです。笑

というか、今は逆に繋がり過ぎじゃないでしょうか?と僕は思います。

スマホが普及して、というか携帯が普及した段階での話になりますが、

僕達はどこでも誰とでもいつでも連絡がつくようになったし、誰が何をしていたのかわかるようになった。

これはもうどうしようもない不可逆性の事象であって。

これは少し話がズレますが、そんな社会に生きていて「仕事終わってるのに連絡しないでほしい」って言葉をよく耳にしますが、僕はそれは不可能だと思っています。それは業務内容如何とか、そういうものをとっぱらっとしても、やっぱりスマホもラインも便利ツールであって、使わないでみんなとのやり取りは固定電話ですなんてのもどうかしてるし、じゃあそのグループに一人だけ参加しないでコミュニティにだけ属すというのはできない。もしその意思を貫き通すなら会社やコミュニティから去ってもらうしかないのかなとも思います。

それって、物は買いたいけどお金は使いたくない、というくらい無茶なことで、スマホ(携帯)はそれくらい社会インフラとしてのツールになってしまった。

自分だけ連絡したい時に連絡して、自分は連絡してほしくない時に連絡してほしくない、なんていうのもまず無理。

それくらい、良くも悪くも便利になり、そして強制的な繋がりの中で生きていかないといけないのが、今の社会だと思っています。

ただ、だからといって、じゃあ毎日、毎時間、毎分、連絡をチェックしなければならないとか、SNSをチェックしなければならない、なんて法律やルールはどこにもない。

そう、無視すればいいだけです。笑

人間、誰とも関わらない一人の時間も必要だと思います。それがしにくくなっている現代社会では特に。

だからキャンプとか旅っていうのは、そういう社会的つながりを一時的に断絶してくれる。自分だけの世界に没頭できる時間が持てる。そこがいいんじゃないかと僕は思います。

そして僕が庭モーニングをする際も、スマホを家の中に置いて、ただゆっくりとコーヒーを飲んで、パンを食べて、景色を眺める。太陽を浴びる。ただそれだけです。連絡が来ようが無視。社会のことは一切忘れる。すると脳の疲れ?緊張?が解れるような感覚があります。(個人的な感覚です笑)

2、原点回帰

原点回帰とは何ぞやって話ですが、ここで言いたいのは、本来人間も動物の一種であり、自然とともに生きる生物だと僕は思っています。動物であること、自然との共生、それが人間本来の原点。

しかし、今はコンクリートジャングルに住み、毎日ネットと繋がってデバイスを見つめ、一日中フリックやキーボードを指で操作している。

よく言われますが、頭も体もほとんど原始人と変わらないのに、技術革新だけが進んでしまった。

多分、本来プログラミングされた人間のあるべき姿と今の生活というのはあまりにもかけ離れ過ぎてしまっているのかもしれません。※全て進化の過程であるのだからそんなことはないのかもしれませんが、、わかりません。

そこの議論は置いておいたとしても、現代人には自然と触れ合う時間があまりにも少なくなっている気がします。

だからこそ、自然と触れるキャンプや旅が、人間本来の感覚にマッチしていて、本能レベルで細胞が活性化されるのかな?と思います。

3、地球時間

これも上で書いたように、本来人間には体内時計が備わっていて、地球の活動(自転や公転)とともに生理現象の中で修正されながらうまくやっていけたはずなのですが。

今はあまりにも時間の流れる速度が速いと僕は思います。

僕が時間の流れる速度が速いというのは以下をその理由としています。

例えば物質であれば、速度は距離を時間で割れば出ます。つまり、時間あたりでどれだけ進んだかがその物質の速さとなる。

時間の速さを測定したい場合(本当はそんなものないが)、アウトプットを時間で割れば算出される、というのが僕の一つの考え方です。

よく仕事が早いこと=生産性が高いと訳されますが、生産性とはつまり時間あたりのアウトプットの量。分子のアウトプットを高めるには、分母の時間を縮めればいい。つまり、10分でできたものを5分にする。

今まで10分で作り上げられたものが5分で出来上がった場合、もちろん時間の速度は変わらず厳密に言えば、時間の質が変わったのですが、相対的にみると、時間が二分の一のスピードで進んだとも捉えることができる。

ということで、つまり今までできたことがもっと早くできるようになればなるほど、時間のスピードは増しているように感じる。

技術革新でどんどんできることはスピードを増している現代社会では、感じる時間の速度も超スピード。
※というのが僕なりの解釈であります。

でも、やっぱり動物としての人間は原始人の時からそれほど変わってないと言われているのだから、体内時計のスピードも地球の時間速度と一緒。なのに、毎年毎年相対的に流れる時間の速度は増していき、、

ついていける人もいると思いますが、僕なんかはどちらかというと、ゆっくりとした時間の流れの方が好きなタイプなので疲れちゃう。

自分の体内時計と現代社会の時間の速度にギャップが生まれ、それがどんどん乖離していくことで、知らないうちにストレスが溜まっているのかなと思う。

そういう時、地球本来の持つ時間速度、時間の流れがある自然の中に身を置くことで、乖離が修正されるのではないでしょうか。

以上の3つの点で、人間は本来のあるべき姿(原始人)から、現代社会という異世界に迷い込み、日々そのギャップでストレスが溜まっている。それらを異世界(現代社会)との断絶を試み、本来生きるべき自然に身を置き、そこに流れる時間軸で修正することで、本来のあるべき姿でいることが、細胞レベルで喜びを感じているのかもしれません。

本来のあるべき姿に戻れるキャンプや旅を人が好きな理由はそこにあり、キャンプや旅の共通点もまたそこにあるのかもしれないと思いました。

そんなことを、お庭でモーニングをしながら、太陽の光を浴びて、青空を眺め、目の前の畑と綺麗な花を眺めながら考えました。

って話でした!