こんにちは!トモです。
「みんな違ってみんないい」
金子みすゞさんの名言?ですよね。
日本人ならほぼ全ての人が小さい頃に、国語で習ったと思う。
最近、この言葉がしみじみと真実だなと思うようになってきたので、今日はそのことについて。
この世に同じ人間は一人もいない
まず初めにして究極の結論ですが、この世に同じ人間は一人としていない。
当たり前ですが。
性別、国籍、環境、生まれつきの貧富、文化、風習、性格、気質、才能、能力、、、
全部違う。
同じ「怒りっぽい」性格と言っても、沸点が高い人もいれば低い人もいる。
一卵性双生児の双子でさえ、遺伝子が完璧に一緒ではないかもしれないってことが最近の研究で明らかになったって記事を読んだこともあります。
要は他人は他人が前提。
そうなってくると、当然考え方、価値観も変わってくる。
全く同じ考え方、価値観を持ってるなんて他人は存在しない。
考え方、価値観が「近い」人はいると思うけど、全くピッタリ一緒な人はいない。
「相手も同じ人間だから(自分と)同じ考え」と考える人間
他人は他人で、意見も考え方も価値観も違うのに、どうしてか人は相手が自分と同じ人間だから自分と同じ考え方をすると考えがち。
↑人間が必ずしも科学的にこういう思考を辿るか不明ですが、自分の経験則として、ほぼ大半の人がそう考えているような気がする。自分を含めて。笑
そうするとどうなるか。
自分がAと考えているということは相手もAと考えているはずだって思い込んで話してしまう。
しかし相手からBなんて意見が出てくると、自分の考えと違うから、相手がおかしいと考え出す。
相手が間違えてる、正さないと。時にはそれが怒りになる人も。
でも、大前提が誤ってる。みんな他人なんだから、Aと思う人もいればBと思う人もいる。
C、D、Eなんでもいる。
それなのに、人って自分の考えが正しい=自分と考えが異なる相手が誤っていると考え出す。
これが問題の原因だと思う。
異なる意見は危険、排斥しないと、排除しないと。そうして行われてきたのが世界中で起きている争いとか戦争とかだと思う。
そのまま受け入れるか距離を置けばいい
この世に正しい人も間違った人もいない。
相手が自分の考えと違うから間違っている、排除しないといけないって考える人は、自分の考えはなぜ正しいと思えるのだろう?言えるのだろう?
相手からしたら、自分が誤っていると思われているのに。
結局人は自分中心でしかこの世を見ることができない。
でも、もう少し大きな視点に立って、自分と同じように、他の人もそれぞれ自分の中に価値観、正義、そういったものを持っているってことを受け入れるべき。
そうやって考えられれば、相手がどんな考え方をしてようが、価値観をしてようが、構わないとなる。
構わないから訂正する必要も、正す必要も、排除する必要もない。
そうやってお互いがお互いの違う価値観を認め合って、そのままただ存在していればいいんじゃないかって、僕は思う。
※ただ、好き勝手生きていいってことじゃない。人としてマナーやルール、法律を守らないと世界は無秩序になってしまうから、ルールや法律は守らないといけない。例え自分の考え方に反していたとしても。
そして、もしどうしても受け入れられない相手がいたなら、その時は離れればいい。距離をおけばいい。
ここで相手の存在が憎いから、危険だからといって排除しにいったり、潰しにかかろうとすれば、相手も同じようにこちらを排除、潰しにこようとする。そこから争い、戦争が生まれる。
そんなことはせず、お互いに干渉しない。ただそれだけで平和に暮らせる。
自分は自分。他人は他人。それぞれの考え方、価値観、正義がある。
自分の存在を受け入れてもらうために、他人の存在も受け入れる。もしどうしても無理な場合は離れる。
それだけで争いは減って、平和になる。
みんな違ってみんないい。
って話でした!