能力という刀を研ぐ

人生論

こんにちは!トモです。

昔から思っていることなのですが、人生って残酷だよな、っていつも感じます。

それは、この世界が絶対的に平等じゃない、から。

生まれた国や環境、家族、育つ場所、与えられた才能や能力、DNA、適性や気質、そういったものって全然違うものを持って生まれてくる。

走るのが早い人もいれば、遅い人もいる。

俗にいう賢いとされる人もいれば、賢くないとされる人もいる。

賢くても生まれた国や地域によっては学校に行けなかったり。

何もできなくても、お金持ちの家に生まれたから一生遊んで暮らせるって人もいる。

そういう意味で僕はこの世っていうのは残酷だなって感じています。

つまり、人生は生まれた時にみんな「能力」という刀を一人一人が与えられていて、

その刀を使って人生を切り開いていく必要がある。

ただ、名刀のような切れ味鋭い刀を受け取って生まれてくる人もいれば、

凡刀を与えられて生まれてくる人もいる。

どちらが有利かといえば、圧倒的に前者である。

就職で会社に自分を売り込む時、みんな一所懸命自分の刀がどれだけ素晴らしいものかを熱弁する。

そして面接官はどれだけ切れ味の良い、素晴らしい刀を持っているかで学生を判断し、

素晴らしい刀(能力に優れた人)を持った学生から順に採用される。

もちろん、学生の信念と企業の理念が一致しているとか、そういうのも加味されますが。

だから、学歴の高い順に採用されるのは理にかなっていて、学歴が高い時点で、その人の持っている刀にお墨付きが付いているようなもの。

鑑定書付きかそうでないかで考えたら当然鑑定書が付いてるものが選ばれる。

学歴が高いというのは、日本の学校教育のシステムを考えたら、インプットとアウトプットの能力に優れた刀を持っているということ。

じゃあ、持って生まれた刀で戦うしかないのがこの世の中なら、生まれた瞬間に勝敗は決まってるじゃないか、とも考えられるけど。一概にそうも言えない。

なぜなら、刀は研ぐことができるから。

勉強や仕事というのは自分の能力の刀を研ぐ行為である、と僕は考えます。

刀は磨かなければ錆びますよね。それと一緒で能力も磨かなければ錆びていく。

どれだけ名刀を与えられても、メンテナンスを怠れば、いずれ錆びて使い物にならなくなる。

例え与えられたのが凡刀だったとしても、毎日毎日弛みなく磨き続ければ、やがて切れ味は鋭くなり、素晴らしい刀にも変身する。

つまり、凡刀でも研ぎ続ければ、研がない名刀に勝る、ということ。

これが僕が言いたかったこと。

なんだよ、自分が与えられたのは凡刀かよ、と言って試合を放棄するのではなく、

それでも研ぎ続ける、磨き続ける。すれば、凡刀も名刀にならなくても良い刀にはなる可能性はある。

相手がいくら名刀を持っていてもそれが錆び付いていれば勝つことだってできる。

だから、人生で与えられた刀をずっと研ぎ続ける必要がある。

と僕は思います。

って話でした!

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