こんにちは!トモです。
このブログは主に、人生の黄金時間に当たる大学生活を送られている方に向けて、自分自身が大学生の時に知っていたら嬉しかったな的な知識を発信しています。
3年半バックパッカーで世界を旅した経験と今まで3千冊以上の本を読んで学んだことをベースに記事を書いています。
今日は人生における4つの大きな制約について書きたいと思います。
歴史を振り返ると、相当進歩してきた人類文明。
でも、それでもなおまだまだ世の中には制約がありすぎるよなと感じます。
もしこれらの制約が全てなかったら、人類はもっと発展するんじゃないかって。
なんでこんな制約があるんだろうか。これらはどこからきてるのだろうか。
なんてこと、時折ふと考えてしまうので、今日はここに書き残しておこうかと思います。
人生における4つの大きな制約
生きていく上で、本当に自由だ〜って人ってごく僅かだと思います。
世の中の99.9%の人が不自由な世界に生きている。
自由と不自由の境目はそう、制約があるかないか。
で、世の中にある制約(特に人類文明の発展を阻害する)について考えた時、大きく4つあるんじゃないかって思いました。
それがこちらの4つ。
- お金
- 言語
- 才能
- 時間
この4つの制約がもしなかったとしたら、人類は今頃相当ヤバいところまで進化していたと思います。
それでは一つずつ見ていきましょう。
お金
これはもはや99%の人がこの制約から逃れられないと思います。
生きていく上で絶対に必要なものだから。
よく、自給自足している人ならお金必要ないって話も聞きますが、例えば家や土地、その他に何か資産を持っていれば固定資産税としてお金を国に収める必要がある。
なので、自分達が食べていく分とは別に、売ってお金にする分を余計に作る必要がある。
何かを買うにしても売るにしても、お金を通す必要があります。
衣食住を満たすためにもお金は必要だし、教育を施すにも、税金を納めるためにもお金は必要。
日本では200年前くらいまで、税金はお米だったんです。
それが地租改正が行われてから、税金がお金になった。
税金としてお金を納めだしてからまだ200年しか経ってないって驚き。
そのことが、当時約80%以上が農業従事者(日本人口が約3000万人として、2400万人)だったのが、どんどん新しい産業に移って経済発展を支える原動力になったのだとも思いますが。
とにかく人々はお金を得るために働く。
この労働(お金を得る行為は人によって違うが)は生きる上で切っても切り離せない。
つまり人は人生の大半の時間を労働に費やさなくてはならないという制約がある。
しかしもし、人がお金がなくても生きていける世の中だったとしたら。
例えば光合成が可能で、水と空気と太陽さえあれば自活エネルギーを生み出すことができて、生きていける的な。
そうしたら、生きるために労働をする必要はないから、労働に充てていた時間を別の何かに使える。
例えば僕はよく考えるのは、貧しい国の子供は生きていくことに必死で小さい頃から労働を強いられていますが、
もし彼らが教育を受けることができたら、彼らの中に天才が眠っていて、実は地球温暖化の問題を解決してくれるかもしれない。
もしかしたら絵の天才、音楽の天才、スポーツの天才が眠っていて、新しい芸術や文化を生み出してくれるかもしれない。
しかし彼らはそれらに触れる余裕がない。明日、今日食べるためにお金を得るために、働かなければならない。
人類文明の発展を考えたら、貧困は解決しなければならない問題の一つ。
「お金を得なければならない」という制約は貨幣経済の現代においては根源的な制約のような気がします。
言語
昔人々は同一言語を使っていた。ある時、神の頂に近づこうと高い塔を建て始めたら、神怒りを買って、
人々が話す言葉をバラバラにされてしまった。
お互いに意思疎通ができなくなってしまった人々は、塔の建築を断念せざるを得なくなった。
これはバベルの塔という神話で有名なお話ですね。
そう、人々が意思疎通するために欠かせない「言葉」
言葉にはグループが存在し、お互いに近いグループは習得しやすく、遠いグループは習得しづらい。
現代では日本に限らず、多くの国で英語が話せるか話せないかで選べるチョイスがぐんと変わってくる。
例えば、非常に賢いが英語だけできない科学者がいたとして、ある情報さえ得られれば地球温暖化を解決できる能力を秘めていたとする。
しかしその情報はこの世にすでに存在するのに、英語で存在するため、その科学者はその情報を得ることができない。
問題を解決できる人と情報がすでに世の中に存在しているのに、出会うことがなく、解決できない問題は山ほどあると思います。
ネットが発展したことで人々と情報の出会いが加速して技術発展を起こしたと僕は考えていますが(知のビックバンと勝手に名付けている)。
しかしそれでもなお、まだまだ言葉の制約がこれらの出会いを阻んでいるとも思います。
地球上の人々がもし共通の同一言語を話すことができたら、世の中は大いに変わっていると思います。
才能
才能、知能、能力、こういったものって生まれ持った遺伝子と環境要因で結構決まるなって思います。
どれだけ練習しても、勉強しても到達し得ない点っていうのは必ずあると思っています。
努力論のその先にある才能論。。残酷だけど真実だと思う。
別にこれは悪いことではなく、人それぞれ役割があって、その役割を生きればいいってことなんだと思う。
みんながみんなイチローやビルゲイツのようにならなくていい。
ただ、ただですよ、ここからは妄想ですが。
全ての人が才能の制約から解き放たれたら(もはや全知全能と呼ぶのかもしれませんが)、それはそれですごい世界ですよね。
全知全能にならなくてもいい。今って、ほとんどの人が本当に全部の能力を出し切ってるのかな?と思うと、それは微妙な気がしています。
だから、本来持っているすべての力が出せるでもいいです。全ての人がそうなったら、それだけで人類はさらなる飛躍を遂げると思います。
時間
これこそまさに根源的な制約。全てにおいて一番の制約である時間。
1日は24時間だし、寿命は数十年だし。
この時間の制約から逃れられる人は1人もいません。
今までにあげたお金、言語、才能に関しては、もしかしたら制約を突破している人がいるかもしれません。
しかし、時間だけは誰にとっても突破できない絶対的な壁がある。
この時間の制約さえなければ、やはり人類はどこまでも進化、進歩していけそう。
時間が全てを支配していると気づく
と、ここまで人生における4つの大きな制約について考えてきましたが、ふとここで気づきました。
時間が他の全ての制約を生んでいるのではないかということ。
もし時間という制約がなければ、いくらでも働いて、いくらでもお金を作ることができるし。
もし時間という制約がなければ、いくらでも勉強できて、いくらでも言語は習得できるし。
もし時間という制約がなければ、いくらでも練習して、いくらでも上達することはできる。
※勉強や練習で上達するのは努力論で、才能論的には、頭打ちはあるのだろうけど。それでも、時間の制約がある時よりは上達すると思う。
逆説的に考えると、いかに時間を効率的に上手に使えるかで、お金や言語、才能が変わってくる。
ああ、ここでまた「時間」に捕まってしまいました。
最近の記事「時間」多すぎ問題。笑
もしかしたら、自由になれるほどのお金が手に入らないのも、言語が習得できないのも、勉強やスポートが上達しないのも、全ては時間をうまく使えていなかったから?
遺伝子とか、才能とか、環境とか、生まれ持ったとか、そうしたことに目を向けがちですが。
実は時間の使い方、過ごし方に原因があったのかも。
人類全てが時間を上手に使う方法さえ学べば、それだけで人類の文明はさらに進歩してくれるのかもしれません。
ビジネスチャンスもそこにあるのではないか
つい最近書いた記事の中でも、時間をいかに創出するかに触れました。
時間を作れなくても、今かかっている時間を減らしてあげれば、新しい時間が生まれる。
前回の記事では、教育分野にテクノロジーを掛け合わせれば、今無駄にかかっている学習時間をもっと最適化できるんじゃないかと書きましたが。
勉強学習以外にも、英語の語学習得、スポーツの学習、ゲームの学習、投資の学習、様々な「学習・教育」に使えると思います。
すると、これまで学び習得するまでにかかっていた様々な時間が短縮されることで、より多くの時間を使えるようになります。
そうした分野に新たなビジネスチャンスが眠っている気がします。
僕はAIと教育を掛け合わせたエドテック(education technology)に今は俄然興味が湧いています。笑
って話でした!