ブログ書き出し
こんにちは!トモです。
このブログは主に、人生の黄金時間に当たる大学生活を送られている方に向けて、自分自身が大学生の時に知っていたら嬉しかったな的な知識を発信しています。
3年半バックパッカーで世界を旅した経験と今まで3千冊以上の本を読んで学んだことをベースに記事を書いています。
今日は前回のchatGPTに引き続きAIのお話。
というよりも以前も一度こちらの記事で書いた内容にも重なるのですが。
結論から言うと、AIによって人類は人生における教育時間が短くなることで新たなる時間を生み出し、その時間を利用してさらに進化を遂げるだろうってことが言いたいのですが。
今日はそんなことを体型だってと言うよりはつらつらと述べる文体で書かせていただければと思います。(完全にSEOとか無視した中身になっています笑)
人類と動物の違いは技術による能力の拡張
僕たち人間が他の動物と違う点はいくつかありますよね。
火を扱ったり、道具を発明して使ったり、言葉でコミュニケーションをしたり。
これらを総合すると僕は人間と動物の違いをこのように(勝手に)定義づけています。
人間とは、技術進歩によって自分たちの能力を拡張し続けて種の存続を図っている動物。
つまり、人類の歴史や文明というものは、これまでさまざまな技術進歩を生み出していき、それらによって自分たち自身、もしくはそれを包括するコミュニティの能力を拡張することで強く大きく進化を遂げていった結晶とも言えると思います。
技術進歩によってもたらされる二つのもの
そしてこの技術進歩によってもたらされる大きな二つの産物がある。
一つが上でも書いているように能力の拡張。
道具を発明して使うことで、人間の生身ではできないようなことを可能にしたりする。
動物はほとんど道具を使わないため、太鼓の昔から本能のままに生きる、そのサイクルをひたすら繰り返しています。
しかし道具を使う人間だけが、生産性を向上させて、技術を後世に伝搬させることで、圧倒的に進化をしてきた。
そしてもう一つ(こちらの方が重要)技術によって得られる産物が「新たなる時間の創出」です。
道具を開発して使うことで、今まで8時間かけていたことを6時間に短縮できれば、2時間人生に時間が生まれることになります。
人類はこうして新しい技術を開発することで生産性を向上して、人生の時間を増やしていった。
そして新しく増えた時間を利用してさらに勉強して、新しい技術を生み出していった。
そりゃ、文明の進化も指数関数的に伸びるよって思いますね。
つまり、文明は単利の力で算術級数的に進化を遂げるのではなく、複利の力で指数関数的に進化を遂げるようにできている。
技術進歩とは新しい時間の利子を人類に生み出していっているとも言える。
大きな時間創出が残されている分野が教育
これも上であげた記事にも書いているのですが。
人類は技術進歩によって、農産物の収穫時間、水を含むインフラを獲得する時間、調理する時間、移動する時間、仕事の時間、掃除する時間、さまざまな時間短縮を図って新たな時間を創出してきました。
これだけ世界が発展してきている中でアフリカという国の経済発展が遅いのはなぜなのか。
もちろん過去のさまざまな歴史がそうしているという背景もあるだろうけど。
その要因の一つが、人びとの水獲得にあるのではないか?とも思います。
水道や井戸水というインフラが整っていないアフリカでは、毎日2時間以上かけて水汲みをしにいくという仕事が人生に課せられている。
するとどうしても貴重な時間の2時間をそうした時間に奪われてしまうため、生きるために強制的に時間を奪われて教育など他に大切なことに充てる時間がなくなっている。
つまり時間の利子がもらえない。そうした背景があるのではないかとも考えられると思う。
水にアクセスできるということがどれだけ幸福なことか、ですよね。
しかし人生の時間を見つめ直すと、メスを入れるべき時間短縮が可能そうな領域がまだ一つ残っている(もちろんたくさんあるだろうけど)。
それが教育の分野です。
学習・教育とはインストールの行為
そもそも教育、何かを学習するという行為を言い換えると、自分の外にある技術を自分の内にインストールするための作業、と言えますよね。
つまり、今まで英語を話すという技術がなかった人が、単語や文法を覚えたり、正しい発音をしたり、聞き取れるようになったりと、そうした技術を習得する(インストールする)作業こそが学習であり、教育。
なぜ教育が大事かというと、人生とは何かをまず考えなければならないと思う。
これは人によって価値観はさまざまだろうけど。
僕にとっての「人生とは(何か)」という問いに対する現段階の答えはこうです。
自分の能力を使って社会をより良い場所にすること
そう考えた時、社会をより良い場所にするためにはそうできるための能力がなければならない。
能力と言ってもさまざまですが、その土台、ベースとなるものがいわゆる学校教育。
算数、国語、理科、社会、体育。そう言ったもの。
このような一般教養が全ての「能力」の土台となり、その上にさらに高等な能力を積み上げていく。そうして自分の能力を大きく強いものにすることで、それを利用して最後は社会貢献する。
社会貢献とは簡単に言えば、この社会をより良いものにするということ。
勉強は人生の土台となり、その土台が大きく強ければ強いほど、その上に強固なピラミッドを建築できる、そのようにイメージすると勉強がいかに人生で重要かということは理解できると思う。
それと同時にこの土台作りには非常に大きな時間が必要だということもわかる。
だから、人間は「教育」というものをこれまで大切にしてきて、今では小学校から大学までの16年という歳月を「勉強」に費やすまでになった。
もちろん社会人になっても学ぶことはたくさんあるので、生涯学習とも言えるかもしれないけど。
そして忘れてはならないのは、人類がこの数十年という決して短くない時間を勉強という時間に当てられるようになったのは、もちろん技術進歩によって時間を創出したからに他ならない。
技術は勉強すら不要にした部分もある
人間は自分の外にある知識や技術を勉強・学習することで自分の内側(脳みそや身体)に能力としてインストールして生きてきた。
一昔前まで、なぜ頭のいい人(いわゆる学歴の高い人)が社会で重要視されてきたかというと、それは記憶力という能力値が高かったからですよね。
まるで百科事典を頭にインストールしているかのように賢い人々は、必要な時に必要な知識や技術、情報を瞬時にアウトプットできた。
この能力こそが社会には非常に重要で大きな影響力をもたらしたからこそ、頭のいい人(記憶力の優れた人=学歴の高い人)が重宝されてきた。
しかし、技術の進歩でメモリーやハードディスクが生まれた。もっと言えばインターネットやスマホが普及した。
これは何を意味しているかというと、これまで必要だった「記憶力」という能力はもう不要になったということ。
わざわざ記憶しておかなくても、インターネットに接続すれば瞬時に必要な情報にはアクセスできるようになった。
これからは記憶力よりも検索力や応用力の時代と言われるようになって久しいのはそのためだ。
瞬時に検索された情報同士をいかに掛け合わせて重要な答えを導き出せるかという能力が問われ出すようになった。
もっと言うと、これまでは勉強をすることで、何度も同じことを反復することで頭に知識や情報を叩き込んでたけど、それがいらない時代が到来しだしている。
例えば士業と言われる人々。会計士や税理士、弁護士などなど。
これらの仕事はすでにある国では廃業に追いやられていたりもする。
全て電子化され、人間よりも圧倒的に情報力に優れた機械やAIの方が、人間よりも良い仕事ができる分野では、人間の能力は不要となってきている。
これが世間で言われるAIに人間の仕事が奪われるという世界。
だけど、今日書きたいのはここらへんのことではないので、サクッと飛ばしちゃいます。笑
人類の教育時間を圧縮、短縮せよ。そして新たなる時間創出を
前の記事でも触れている部分ですが、今日の記事で一番言いたいのがここです。
つまり、人類は技術進歩をし続けることで、さまざまなことにかかる時間を短縮してきたことで、新たなる時間を創出して、そうして創出された時間でさらに技術進歩をすることで、時間に利子を産んで指数関数的に発展してきて今がある。
そんな時代の最先端にいる今でも人類が時間をかけているものはまだまだあって、その中でも一際大きなものなのが「教育」。
よく考えてみたら人生の十数年を教育や学習といったものに費やすってことは、逆に言えば教育がいかに人生にとって重要かということがわかりますね。
ただ、この時間をもっと圧縮できないか。短縮できないか。
小学校から大学を卒業するまでの16年を例えば10年に短縮できれば、みんな16歳頃には大学を卒業することになる。
日本では成人が二十歳なので(もう18歳になりますが)大学を卒業してもまだ後4年ある。
この4年という歳月をさらに教育に投資してもいいだろうし、もしかしたら世界を見聞するために旅に出てもいいかもしれない。
もしかしたら職人になるための修行に当ててもいいし、人によってはすぐに社会に出て働きたいって人もいるかもしれない。
とにかく、教育にかかっている時間をもっともっと短縮することができれば、大きな時間創出につながるのです。これは人類の進歩に繋がること。
教育時間の短縮の鍵は個別最適化された教育
教育時間を短くしようと言葉では簡単に言えますが、じゃあどうやるのか。
僕はその鍵が「個別最適教育」だと思います。
この言葉、数年前からよく聞くようになってきましたよね。
そもそも、なぜ塾に行く子の方が総じて塾に行かない子よりも賢くなるのか。
これは単純に「勉強している時間」が塾に通う子の方が長いからと言われてますが。
その中できちんと予習と学習、そして復習がなされているからとか、いろんな意見があります。
しかし僕が思うに、それもそうですが、それプラス「個別最適教育」がすでになされているからだと思うのです。
学校教育とは一つのクラスに40人が集まって一斉に教育を受けますよね。そして、その中でも理解の早い子もいれば遅い子もいる。しかし、学校の授業は平均的な子のスピードに合わせてノロノロと時には素早く進んでいく。
理解した子と理解していない子をないまぜにして、関係なくとにかく授業は進んでいく。
これが学校教育の姿。
ただ、これが塾になるともっと少数のクラスになる。例えば8人とか10人とか。すると、先生が一人一人みんなに目をかけられるようになる。
わかっていない子がいれば後でフォローすることもできる。何がわかっていないのかを本人のフィードバックしてあげることも。
そうして、一人一人が適切なフォローとフィードバックを受けながら授業が進んでいくので、みんな理解しながら次に進むことができる。
これこそ、個別最適化教育の前進の姿だと僕は思います。
最適化されれば時間は短縮される。短縮された分早く次に進める。こうして塾に通っている子の方が短時間により多くのことを自分に合った方法で学び理解して進めていけるから、賢くなる。
僕はこのように考えています。
そして、この個別最適化教育の極め付けがAIなのでしょう。
AIが1人一台になれば、1人に1人の家庭教師がついているようなもの。
AI先生は、自分の答案用紙を採点してくれて、自分がどの教科のどこに弱みがあるのか、なぜ理解していないのか、どのように間違っているのかを人間よりも遥かに正確に判断して、自分が一番理解しやすい教え方で教えてくれる。こんな最強のAI先生が1人ついてくれれば、勉強は非常に捗りそうですよね。
学校に通うことは必要だと思います。学校は単純に勉強をするだけではなく、社会性を学ぶ場所でもあるので。
でも、技術が発展した現代で、40人の生徒を一つのクラスに入れて、1人の先生が平均的なスピードで教えるというのは非常に無駄でありムラがあり、無理がある。
これまでは技術がなかったからそれしか方法がなかった。
でも、今は技術が生まれたのだから、それを使わない手はない。
例えば子供たちは学校には通うけど、一人一人自分に合ったカリキュラムで学習を進めていけばいい。タブレットやパソコンを使って。
そうして先生はクラスにいることはいるけど、みんなの手助けをするくらいの存在でいいんじゃないかと。
そのほうが一人一人の学習スピードは飛躍的に向上して、もしかしたら今まで16年かけて大学卒業をしていた学習時間が半分になる可能性だって十分に考えられる。
次なる時間創出は学校教育にあり。
今日も非常に自己満な記事をつらつらと書いただけでした。ここまで読んでいただきありがとうございます。
って話でした!