人はなぜ間違いを恐れるのか

人生論

こんにちは!トモです。

コロナ禍のこんな状況なのになんで日経平均が上がってるのか理解できないので、マネーショートというサブプライム問題を取り上げた映画を最近見直しました。

あ、今日のテーマにはあまり関係ありません。笑
今日のテーマは、なぜ人は間違うことを恐れるのかについて。

誰だって間違いは犯したくないし、失敗したくない。当然そう考えると思います。
大人は間違いや失敗を恐れてどんどんいろんなことに挑戦しなくなる。

でも子供の頃ってあまりそういうことを考えずになんでもやってたように思います。
じゃあ、どこら辺で人は間違いを恐れて行動を控えるようになるんだろう?って考えました。

多分一つは先天的に、もう一つは後天的に間違いを恐れるようにDNAに埋め込まれていってるなって気づいたので、そのことについて書きたいと思います。

昔は間違いが死に直結した

多分、人はDNAに間違ってはいけないってことが書き込まれていると思う。

というのは、大昔、まだ科学も学術も発達していない昔、人は間違いを犯せばそれが死に直結していたので、その教訓として間違ってはいけないってことをDNAにインプットされたんじゃないかって思う。

例えば、戦う相手を間違えてサーベルタイガーと戦ったら、死んでしまう。

間違って毒草や毒キノコを食べたら、死んでしまう。

間違いは簡単に死へとつながった。

それからどんどん知識がついて間違いを犯さないようになると、時代は争いの時代に移り。

やはりここでも戦い方を間違えると、人も村も国も全て死んでしまったので、間違いを犯せない。

この間違いを犯したら死に直結するという長い歴史の中で、人は間違いを恐れるようDNAにインプットしてきたんじゃないかなって思う。

今は間違いが間接的に死に繋がる

それでは、サーベルタイガーと戦うことも、謎な食物を食べることも、他国と戦争することも必要なくなった現代で間違いを犯すことへの恐怖は不要になったかというと、そうではない。

今、間違いを恐れる1番の恐怖は教育にある。

僕達はこの貨幣経済を生きていく中で、生きると金を獲得するが同義となった。

お金を多く獲得した方が生活は楽なので、みんながお金を多く獲得する、金持ちになりたいと思うようになり、金持ちになるためには多くの給料を払ってくれる企業に入る必要があり、そこに入るためには頭が賢くないといけなくて、それを証明するために頭のいい大学、頭のいい高校、頭のいい中学や小学校に入ることが求められた。

頭のいい学校に入るためには「試験」で高得点を出す必要があり、高得点を出すためには「間違い」を犯すことは絶対にしてはならないのだ。

きた。笑

そう、現代社会でも同じように間違いを犯すことは減点方式のテストで落第を意味する。落第するといい学校に入れないのでいい就職先に就職できない。つまり金持ちになる可能性が薄くなり、一生お金にあくせくする必要が出てくる。その生活の中でストレスは溜まり、疲労困憊して、死が早くなるかもしれない。

最後はちょっと極論な部分があるかもしれないけど。

現代人として生まれてきても、小さな子供の頃から間違いを犯すことはいけないことだという教育に洗脳されて育ってきたので、人は間違いを犯せなくなった。

間違いを犯さないとは、挑戦しないということ。

でも僕は生きてる意味って、何かに挑戦することだとも思ってる。

なぜなら、死んでしまったら何も挑戦できないから。

この、生きてるからこそ挑戦できる、でも間違いは犯せないから挑戦したくないの間を人は彷徨っている。

僕は、人生たった一度きりだから挑戦したらいいと思う。

そんで、挑戦して間違っても今の時代死にはしない。

ちょっと人生がハードモードになるかもしれないけど。笑

それでも、何もしなかった人生よりはいいんじゃないかって、僕はそう思う。

って話でした!

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さて、次は何に挑戦しようか。

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