「三世代家族が最強」核家族化が進む社会の生存戦略

人生論

こんにちは!トモです。

このブログは主に、人生の黄金時間に当たる大学生活を送られている方に向けて、自分自身が大学生の時に知っていたら嬉しかったな的な知識を発信しています。

3年半バックパッカーで世界を旅した経験と今まで3千冊以上の本を読んで学んだことをベースに記事を書いています。

最近よく思うんです。三世代家族が最強の生存戦略だったんじゃないかって。笑

何言ってんだと思われるかもしれませんが、結構大真面目です。

でも、社会はどんどん核家族化が進んでいってる。

これが現代の貧しさの原因の一つでもあるんじゃないかって思うんです。や、多分そう。

今日はそんなことについて書きたいと思います。

人類の寿命が伸びたのは三世代戦略のおかげ?

まず、哺乳類、霊長類の中で人類の寿命って長いですよね。

生物学的に見た自然寿命に関しては、テロメアがどーのとか、心臓の鼓動数がどーのとか色々あると思いますが。

また、医療が発展したとか、栄養を取れるようになったとか、もちろんそこら辺も関係しているとは思います。

ただ、もう少し違ったアプローチでみるのも面白いかもと。

それは「体毛」の有無

霊長類の中で人類だけがなぜか「毛」がない。なぜ無くなったかはまだわからないそう。

ただ、毛がなくなったから人類は火を扱うようになったり、服を発明したり、色々進歩できた。

そしてもう一つが生存戦略。

他の霊長類は体毛があるから、赤ちゃんは親の体に簡単にしがみつくことができる。

でも、人間だけそれができない。しがみつこうとしてもツルツルで滑り落ちちゃう。

(しかも人間だけが二足歩行になったことで子供が未熟なまま生まれてくるようになってしまったから、)

子育てに余計に手がかかるようになった。

もし核家族(両親と子)だと、片方が子供につきっきりになってしまうようになった。

しかしそれが大家族(三世代家族)だったら。

おじいちゃんおばあちゃんがいれば、子供(孫)を見てもらって、両親は狩りに行ったり、家事をしたりすることができるようになる。子育てが楽になる。

ということで、家族全体の負担が分散される形である三世代家族が生き延びやすかった。

おじいちゃんおばあちゃんがいるということは、長生きできる遺伝子ということで、→結果人類の遺伝子は長生きできる遺伝子が生き残っていった。

Newspickで落合さんと分子生物学者の小林武彦さんのお話

あくまで一説ですが、三世代家族は昔から優位だったと考えられています。

現代の三世代家族はどうか

三世代家族が優位なのは昔だけの話に限らず、現代でも同じだと思います。

現代は狩りや畑にいく代わりに会社で働いてお金を稼ぐ家族が多いと思いますが。

ジェンダーに気を遣って話を進めると、三世代の中で例えば2人が会社勤めでお金を稼いでくる。

後の2人で家事育児を分担する。

なんなら日中は3人が働き、1人で家事育児をして、働き手が帰ってきたら家事育児を少し分担してもらうとかもできる。

その方が祖父母は祖父母だけ、両親は両親(と子供)で生活するよりも圧倒的に金銭的、肉体的負担を分散できて楽になるのは明らか。

だから昔は子供を育てる金銭・労力負担が今よりももっと少なかったから、心理的負担も軽くなり、子供をたくさん産めたのだと思います。

なぜ核家族化が進んだのか

ではそんな最強生存戦略であった三世代家族という形から人類は(特に先進国や日本)不利な核家族戦略に移っているのか。

これにはいくつかの要因があると思いますが、完全に個人的主観で書かせていただきます。

家督制度

これは最もわかりやすいですよね。

つまり、家業や家の財産を長兄が継ぐというもの。

三世代家族ってよく考えたら、子供が一人ならまだいいのですが、たとえば二人いた場合、一人はおじいちゃんおばあちゃんと一緒に暮らすとなると、もう一人は一緒に暮らせないので、三世代家族の形を取れないですよね。

つまり次男次女以降は核家族になりやすい。(女性は嫁ぎに行った先で三世代の形になることもありますが)

工業化でどこにでも住めるようになった

狩猟・農業の時代は、そうはいっても次男次女の家族も家を出ても結局近場に住み、

一緒に狩りをしたり、農業をしたりして、半大家族の形を取っていたと思う。

それが産業革命後の工業化社会に変わってから、それまでは土地を中心にしていた社会から、会社を中心にする社会に変貌し、それに伴って、人々が住む場所も大きく変わっていった。

家族と離れて生活できるようになり、ここら辺から完全な核家族という形ができていったのではないか。

個人主義、思いやりの欠落

これは自分が世界を旅した経験から感じたことですが、日本ほど家族間の関係性が希薄な国はとても珍しいように感じました。

いやいやウチはみんな仲良くやってるぞ!という家もあると思いますが。

それでも、世界で見てきた家族の絆はとても強く、家族愛というものをしっかりとみることができたのに対して、

日本はハグやベソの習慣どころか、スキンシップ(たとえば握手)もなければ、感謝を伝え合ったり、頻繁に会いに行ったり、ほとんどしないように思います。

もちろん日本は恥の文化があったり、武士道とか、独特の文化がDNAに刻まれていることが、愛情表現をしない人種を作り上げたようにも思いますが。

僕は専門家でもないので、これ以上の言及は避けますが。

世界が全体主義からどんどん個人主義に向かっている中で、家族間の絆も希薄になり、むしろ一緒に住むことで問題が発生するくらいであれば、お互いに離れて暮らす方が気楽と考えて、日本は積極的に核家族化している気がします。

贅沢病

日本人はとても贅沢になってしまったんじゃないかって思うことがあります。

日本人はかなり世間体とか人の目を気にする人種ですよね。

負けられない、いいものを持たないと見くびられる、みたいな感情を自然と持っているのが日本人だと思います。

大家族で一つ屋根の下で暮らすことは、空間の制約を受けやすい。よっぽど大きなお屋敷でない限り、自分の部屋とか、空間を持ちづらい。

昔はそれでよかった。みんながそうだったから。比べる必要もないし、それが当たり前だった。

我慢する以前になんとも思わないことだった。

それが、近現代になると、子供は一人部屋が欲しい。親も祖父母も自分達の空間が欲しいとなると、一つ屋根の下で暮らすとそれは叶わない。

だから、祖父母は祖父母で、両親と子供はまた別の家で暮らすことで、お互いに十分の空間を確保しようとする。

もちろん、家計に余裕があるなら、その方が国の経済のためにはいいことだと思います。

が、家計に余裕がないのに、ましてや結婚もしていないのに、家を出て一人暮らしするというのは、少し勿体無いことのように思います。

そこに現代の贅沢病を感じざるを得ないなと思います。

核家族化することのデメリット

そうは言っても核家族になる全てが全て贅沢な選択ということではない。

仕事の都合でどうしても親元を離れなければならないとか。

家族構成の関係で自分が家を出なければならないとか。色々理由はあると思うので、それは仕方のないことなんだと思います。

ただ、それによって何が起きるのかを考えてみると。

たとえば祖父母がいなくなることを考えると以下のようなデメリットが発生します。

  • 世帯収入が下がる
  • 家事育児の負担が増える
  • 常に子供を見ていないといけない(両親だけでおでかけができない)
  • 世代別の教育がなくなる(祖父母の優しさや厳しさは両親のそれとは少し違いますよね)
  • 子供の年配者への配慮が希薄になる
  • 世代別の意見交換ができなくなる(視野が狭くなる)

とか?

三世代家族という形は家事育児、家計の分担だけでなく、世代と性別が違う様々な立場の人間が小さな集団として集まっていることで、いろんな考え方や意見を交換できる場としても有益だったんじゃないかなって思います。

たとえば、子供が十代、親が三十代、祖父母が六十代見たいな家族構成であれば、それこそ老若男女が集まっているわけで。

こういったコミュニティは社会的には家族という集団以外に中々見つけられないですよね。

そういう意味でも三世代家族は稀有な集団だったと考えられるのかもしれません。

とにかく、核家族化することで、時間もお金も労力もそれぞれに負担が増えてしまうことで、色んな意味で貧しくなってしまうのは事実だと思います。

この目に見えずらい「(時間的、金銭的、労力的な)貧しさ」が日本人に知らず知らずのうちにストレスを与え、疲弊させてしまっているのかもしれない。

常に疲弊しているのだから、仕事の生産性は上がらないのは当然で。すると経済も活性されず。

デフレは続き、人々の頭にはデフレマインドが植え付けられ、お金は投資せず貯蓄しようとすることでさらに経済は、、という負のスパイラル。

どこかで、この見えない「貧しさ」を解消しなければならないんじゃないかと僕は思います。

日本人の生産性について

OECDの中でも日本がダントツで労働時間が長いことはデータで明らかです。

また、労働時間が長いと睡眠時間が削られるということもデータで相関関係が出ている。

つまり、日本人は総じて睡眠時間が短い

短時間睡眠はパフォーマンス力を落とすので、これが日本人の生産性の低さに如実に現れているのだと主張する経済学者もいますね。僕も一理あると思っています。

ということは、僕たちは給料も上げないといけないけど、それ以上にもらうべきは自由な時間

そうして余暇を作り、余暇を楽しむことでストレスを解消して、睡眠を十分にとることでコンディションを整えれば、肉体的、精神的に安定し、生産性を上げられるって考えることもできます。

大家族に代わる新しい組織を形成して助け合う仕組み

ここまでの話をまとめると、核家族化が進んだことで、みんな生きていくことが大変になり、日々疲弊している。と言えると思います。

金銭的だけでなく、時間的、労力的にも貧しくなっている(使えるリソースが絶対量として減っている)ので、会社の給料が上がるだけでは問題は解決しないのだと思います。

問題とは現代人の見えない貧しさや疲弊のこと。

これを解決するためには、お金もさることながら、時間的余裕、労力的余裕の回復も必須。

そのためにできることといえば、一つは明らかであり、三世代家族に戻ること。笑

三世代家族は生存戦略的に優位だったため、人類は寿命が伸びて、ここまでやってこれた。

核家族化が進んだことでそれがマイナスに向かっているとわかっているなら、戻ればいい。

とてもシンプルですよね。

ただ、そんな簡単な話だったら、もうとっくにみんな三世代家族を形成しているはずで。。

時代の変化とともに人々のマインドも変わり、どの世代もできれば個で(もしくは夫婦のみ)生活したいと思っているから、三世代がどんどん解散しているのだと思います。

なら、実の家族でなくていいから、身近な核家族同士が助け合える集団組織を形成すればいいのではと思ったんです。

たとえば、極端な例を出すと、ここに両親と子供一人の三人家族の核家族が5組いたとします。

それぞれがそれぞれ子育てをしていると、働きに行けるのは両親のどちらか一人だけになりますよね。

でも、この5組が一つの集団として固まることで、平日の5日間、交代ごうたい全員の子供たちの面倒をみることができれば週に1日以外は両親が共働きできるので、金銭的にも、時間的にも、労力的にも助かる。

※もちろんそのために保育園とか幼稚園が存在するのだけど。たとえば待機保育で預けられないところや、費用捻出が難しい世帯はこのような集団を組織してもいいのではないか。

特に片親世帯は積極的にこうした集団を組織してお互いに助け合うことで、片親核家族だけで生活するよりもはるかに生活が楽になると思います。

♢♢♢

太鼓の昔、家族というのは一番最小にして最大の絆を持った集団、コミュニティだった。

そこから、村落という小さな集団ができ、町や都市、県や国といっただんだん大きな集団、コミュニティを形成。

またその中には学校、会社、NPOといった様々な機能を持った集団やコミュニティがつくられ。

僕たちはそのどれかに属しながら生活をしている。

そしてここに新たなお互いを助け合える機能を持った集団が生まれてもいいのではないだろうか。

それを構築できるだけのテクノロジーは十分に揃っていると思う。

お互いに助け合って、リソースを上手に使った方が、全員が豊かになれる。

人類の知恵はそのように活用されるべきなのではないか、なんて考えている今日この頃です。

って話でした!

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