不自然な民主主義と資本主義

人生論

こんにちは!トモです。

最近、人間と動物、資本主義と民主主義、食物連鎖や弱肉強食、自然淘汰の関係性について、ふと考え思い至った結論があり。今日はそのことをまとめたいと思ってブログを書きます。

(毎度思いますが、本当に自分のブログは雑記ブログだなぁと感じます。。笑)

では早速。

不自然な民主主義:生きるために頑張る動物と頑張らない人間

なんとなく、今までは、自然界を見渡してみても人間だけが食物連鎖の頂点に立ち、誰からもこのポジションを脅かされることなく生きている、って感じていました。

ただ、今回コロナが起きて、細菌によって多くの人命が失われるのをみていて、ああ、人類も食物連鎖の一員ではないかって気づいたんです。

人類が多くなったことで、次は細菌が人類を死滅させてバランスを調整する。

多分なんだか自然なことなんだろうな〜と自分の中では理解しています。

でも、人間だけが動植物と違って「意識」というものがあり、「愛別離苦」というものがあり、親しい人との別れに悲しみを抱くようになったため、「なぜ死ななければならないのか」という疑問を抱くようになってしまった。

多分これがいろんな物事を複雑にしているんだろうなって思うのだけど。それは仕方のないことなのだと思う。

なぜなら、自然界に目をやると、人間よりももっともっと悲惨で残酷な世界を生きていることがわかるから。

動植物の世界にははっきりと食物連鎖という仕組みがワークしていて、完全に弱肉強食というヒエラルキーを構成して成り立っている社会だということがわかる。

つまり、純粋に強いものが弱いものを食べて回っているということ。

強いとは走るのが速かったり、爪や牙があったり、腕力や顎の力が強いということ。

みんな生まれ持った自分の才能だけを武器に、この自然界を必死に生き延びている。

しかし世の中が平等でないのは、動植物の世界でも全く一緒であり、筋力の弱いもの、視力の弱いもの、爪や牙のないものも生まれてくる。

そういう弱い存在は自然淘汰という名の下に、この世からすぐに姿を消してしまう。つまり死んでしまうのだ。

しかし、そうして強い種のみが子孫繁栄できることで、どんどんと強いものだけが生き残れるという社会を形成している。

つまり、生き延びるために毎日が必死なのが動植物の世界。

それに対して、人間界はどうかというと、才能があろうがなかろうが死ぬことはない。どうにか生き延びていけてしまう。

昔はそうでなかったのだろうけど、今は完全にそうである。少なくとも日本では。

どういうことかというと、民主主義国家の第一前提が包摂であり、全ての国民を平等に扱い、弱者を守るためにできている。

そのために社会保障や福祉が充実して、弱者でも生きていける世の中を形成した。

それはある意味で素晴らしいと思う。しかしある意味で残酷でもある。

つまり動植物界に置き直してみると、爪も牙もなく、早く走ることもできない。それでも生きていけてしまう、ということ。

言い換えると、頑張らないでも生きていけてしまうのだから、頑張ろうとしないのは当然で。
(人は少ない労力でアウトプットを得られるようにプログラムされているから、何もなければ怠惰な方向に向かうのは人間の性)

そういう人が世の中に溢れたらどうなるか、そういう雰囲気、ムードを世の中に作ってしまう。

何も必死に死ぬ気で働き続ける必要があるとは思っていません。むしろ縄文時代のように平穏な一万年時代が来ればいいとも思っています。笑

ただ、人間が民主主義を発明して、自然淘汰という仕組みを排除したことで、何か不自然なサイクルが起きているようにも感じているのです。

不自然な資本主義:富を溜め込まない動物と溜め込む人間

それでは民主主義が弱者救済システムだとしたら、資本主義は真逆にある強者独裁システムと言える。

強者独裁こそ、自然界に見られる弱肉強食世界そのもの。

しかしやはりここでも人間界ではブレーキをかけるために、たとえばマーケットで言えば独占禁止法などを制定して、一人一強を防ぐ仕組みがあるし、婚姻関係には一夫一妻制を用いたりしている。

それを抜きにしても、資本主義は自然界の弱肉強食と同じだと言えるかといえば、これもどこか不自然であると感じています。

例えば、動物界でいえば、いくら強かったとしても、獲物を食べてお腹がいっぱいになれば、それで満足。

それ以上、不用意に他の動物を殺したりはしない。欲望は必要な分だけで満足する。

しかし人間の資本主義では欲望が満足することは無くなってしまった。

動物界の欲望とはせいぜい、食べることと安全に寝ること、これだけである。

お腹いっぱい食べたらそれ以上狩をすることもなければ、安全が確保できれば、安らいで寝ることができる。

しかし人間は必要以上に食べるし、お金を『狩り』続ける。安全が確保できても、見た目や広さを追求してお金をかけまくる。そのほかにも人間の欲望には終わりがない。

それが資本主義を異常で歪なものにしてしまったのだと思う。

どう考えても、世界のトップ10人が下位半分の総量と同じ富を所有しているというのはおかしいように感じる。

つまり、民主主義で見ても資本主義で見ても、人間界はあくまで人間的で不自然なサイクルを形成している。

常にバランスの取れた自然界のように回るような仕組みが人間界に実装されれば、もう少しこの不平等、不公平、アンバランスな仕組みは解消されるのだろう。

しかしそれは一方で非常に残酷な仕組みになるかもしれない。

どちらがいいかは僕にはわかりません。

やはり、1万年以上続いたと言われる縄文時代の生活スタイルが一番人類にとって自然な形だったのかなって思います。笑

って話でした!

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