教育について考えてみた

人生論

こんにちは!トモです。

今日は、教育について書きたいと思います。

なんと壮大なテーマ。笑

絶対に書くのにふさわしくない自分。。笑

最近、よく「教育」について考えることがあります。

最良の教育ってなんなんだろうとか、何がそもそも「教育」なんだとか。

自分なりの考えがぼんやりとまとまったので、記録しておこうかなと思い書かせていただきます。

なぜ教育が必要か

ここから入らせていただきます。

例えば、動物も子供の頃に狩の方法を親から教えてもらい、独り立ちしてからは、自分で狩をして食べるものを獲得して生きていきます。他にもどこで水が飲めるのか、どこに巣をつくればいいのか、誰が敵なのか、なども学ぶでしょう。

この生きていく上でのさまざまな学びも一つの教育、だと思います。

この教育がなければ、動物は狩をすることも水を探すこともできず、敵味方もわからず、多分、厳しい食物連鎖の中ですぐにやられてしまう、、、かも知れません。

教育を受けることは動物でも必要なこと。

これを人間界に当てはめるとどうなるか。

僕達は子供の頃、学校と家庭の二つの教育の場を持っています。

そこで、さまざまなことを教わり、学び、勉強し、社会に出てからはしっかりと働いてお金を稼ぐ。

動物で言うところの狩の方法を学ぶことが人間の勉強であり、実際に狩をして餌となる動物を捕まえることが人間の仕事でお金を稼ぐ、に当たるのかなと思います。

そう考えると、人間が生きていく上で、勉強する(教育を受ける)こと、仕事をすること(お金を稼ぐこと)は必須条件、ということが見えてきます。

わざわざここまで書かなくても、大体全ての人が自然とそういったことは理解していると思いますが。

動物が狩の方法を学べなかったらうまく生きていけないとの同じで、人間も教育を受けられなかったらうまく生きていけないのです。

しかし、動物界がうまく生きていけない=死に直結しているのに対して、人間界ではうまく生きていけなくても、すぐには死にません。セーフティネットが用意されている。どうにか生きていける。

動物は死に直結しているからこそ、死に物狂いで狩の方法を覚える。

しかし、人間界は死に直結していないから、なんとか生きてはいけるから、教育を受けることを少し甘く見てしまうのかも知れませんね。

教育の役割

教育が生きていく上で必要とわかったら、次に教育とは何か、教育の役割とは?について書きたいと思います。

完全に僕なりの解釈です。

教育の役割を3つに分けてみました。

  1. 勉強教育
  2. 人格教育
  3. 平和(幸福)教育

勉強教育

これは非常にわかりやすいですね。学校で勉強すること。

算数だったり国語、理科社会、体育、家庭科、美術、音楽、etc、、、

子供の頃、勉強がなんの役に立つかわからないから、勉強嫌い、もしくは好きじゃないって子は多かったと思います。

大人だってそうですよね。これやっといてと言われて、よくわからないことやらされたら、「これ何に使うの?」「これをしたらどうなるの?」「なんのためにこれをするの?」と純粋に疑問になるし、モチベーションも特に上がらない。

子供だって一緒で、学校に行きなさい、勉強しなさい、と一方的に教育を受けさせられるけど、果たしてこれが将来なんの役に立つのかは全く教えてもらえない。理由がわからないから頑張る気も起きない。

そんなことよりも、友達と遊んだり、ゲームをしてる方がよっぽど楽しい。今ならスマホ、SNSが簡単に手に入るので余計ですよね。

友達と遊ぶのは、体を使うことで快楽ホルモンが出るから楽しく感じるし、ゲームも脳の報酬系をうまく刺激されて楽しい。だから退屈な勉強よりも簡単にそっちに流れちゃう。しかも子供はそこまで理性が強くないので特に。

でも、勉強をすることは人生の土台作りとして非常に大切なことであり、学んだことは全て考える思考の材料になる。

それで何を考えるのか。もちろん未来と良い社会について。だと僕は思います。

どうしたら良い未来が作れるか、どうしたら良い社会が作れるか。そのために自分は何ができるか。

その蓋然性が考えられるかどうかで人生は大きく変わる気がします。

何か問題があったときに、正しい判断、正しい決断をできる力は勉強と思考によって培われる。

これは生きていく上で非常に大切な力。そのために勉強は必要。

人格教育

勉強教育で「力」が手に入ると書きました。

しかし、その力を良い方に使うのも、悪い方に使うのも、本人次第です。

時たま、『賢い』犯行が行われたニュースが流れてきたりするのを見て、どうしてその能力を良い方向に使わなかったんだろうと考えることがあります。

もっと簡単に言えば、例えば1億円を持っていて、その資金を元に犯罪集団を組織するのか、もしくは世のためになる非営利団体を組織するのか。

同じ1億円でも使い道が大きく異なれば、社会に与える影響も大きく変わってくる。

僕達はできれば平和な世界で生きたい。もちろんそうですよね。誰も地獄のような争いと戦争まみれの社会で生きていくのは疲れる。

ならば、僕達一人ひとりが、勉強で得た力を正しい方向に使う必要がある。

正しい決断と実行が正しい心から生まれると考えると、心を培う人格を磨く必要がある。

これも、教育の役割の一つではないでしょうか。

平和(幸福)教育

人格教育の部分でも書きましたが、人類皆の希望として、誰しもが平和な世の中で暮らしたいと願っていると僕は思っています。

世の中の悪い人はどうなんだ?僕はそれも漏れなくそうだと思っています。

よく性善説と性悪説が説かれますが。僕は生まれながらにして人の本性が決まっていることはない、と考えています。

人の本性はその人が育つ環境で育まれるもの。

だから、悪い人は生まれた時から根っからの悪者だったわけではなく、育つ環境の中で、悪い心が芽生えてしまった。そして大人になってからそういう道でしか生きられなくなった。のだと思います。

と言うことは、子供の頃からしっかりとした良い環境で教育を受けていれば、全ての人が正しい心を持って生きていけるのではないか。

全ての人が正しい心を持った世の中とはどういう世の中か。それこそ平和な世の中なのではないか。と僕は考えます。

平和な世の中を作るためにも、教育なのです。

また、カッコして幸福と書きましたが。平和な世界はニヤイコール幸福かなと思い、そう書きました。

もし、自分一人が人生の目標を達成して、成功して、大金を手にして、地位や名声を手中に収めて幸せになったとします。

しかし、周囲の人が悲しんでたり、不幸だったり、流れてくるニュースでは戦争ばかりだったりしたらどうでしょう?

それでも自分だけは幸せを感じる、なんてことできるかな?って僕は思っちゃいます。

多分、あんまり幸せな気分にならない。自分が不幸なわけじゃないけど。そういう現実を見ちゃうと多分幸せな気分は薄れちゃう。

世界が平和で幸せになることが巡り巡って自分の幸せに通じる。

これが教育の根底にあればいいなと僕は思います。

勉強することの重要さ、大切さ。そして、それによって得た力を正しい方向に使うために心を育てることも重要。最後に全ての人がそうした教育を受けて、全人類で世界平和を作り上げていくことが、人類の「教育」なのかな。

最後にはなりますが、文部科学省が定める教育基本法第一条の「教育の目的」に素晴らしいことが書いてあったので、載せておきます。


第1条(教育の目的) 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

文部科学省HP

って話でした!

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