テクニックより人格を磨く

人生論

こんにちは!トモです。

人格を磨くとかまたたいそうなことを言い始めました。笑

自己啓発で人格を磨くというと、完全に7つの習慣。

しかし人類史で辿るとお釈迦様に遡る。

それくらい、二千年間大事とされてきたことが、この人格を磨く、ということ。

なんで人格を磨く必要があるんだろな〜ってことを自分なりに考えてみたので、書きたいと思います。

って言っても、ほとんど7つの習慣がいってることまんまなんですけどね。笑

人間は感情の生き物

多分、これが結論なんだと思います。

人間は感情の生き物。

人には喜怒哀楽の感情がありますね。

ただこれはあくまで言葉で感情を定義しようとしたときの分類ということなので、

感情とはそんな四種類に分けられるほど単純なものじゃない。

感情はもっとグラデーションで、言葉の定義にない、感情もたくさんあると思う。

そして、人はコミュニケーションや表現をする際に、自分の感情がそこに上乗せされる。

怒っている人は口調がキツくなるし、優しい人は自然と笑顔になる。

表現やコミュニケーション、人間の活動には必ず感情が伴うということ。

これが大前提です。

テクニックには感情が乗らない

現在、巷にはさまざまなテクニック本や方法論が溢れてますね。

人の活動、生活、営みというのは他者との共生がベースとなる。

現代に自分一人だけの力で全ての人生を生き抜ける人はいない。

つまり、生きるということは、他者との関わり合いそのものを指すとも言っていい。

と、重要になってくるのは、やっぱり人間関係であり、その潤滑油となるコミュニケーション。

現代ほど、一人の人間が多くの人と関わらなければならない時代もそうないんじゃないかと僕は思います。

関わる人が増えれば増えるほど、その一人ひとりに割くことのできる時間は減ってしまう。

良好なコミュニケーション、人間関係というものは、そもそも時間を要して構築していった上に成り立つものなのに。

その時間が減っているということは、これまで以上に少ない時間でどう円滑なコミュニケーション、良好な人間関係を構築すべきか、が求められる。

そこで、巷には短時間で習得できるような、小手先テクニックが流行っているのだと、僕は思います。

しかし、先ほど書いたように、人のコミュニケーションにとって一番重要なのは感情。

コミュニケーションとは言葉のやり取りのように見えるけど、実は感情をやりとりしている。

そして、テクニックにはこの一番大切な感情が乗っていない、ということがポイント。

テクニックによるコミュニケーションと感情の間には大きな隔たりがある。

テクニックを使えば短時間であれば相手を騙せるかもしれない。

でも、人間の感知能力はすごいもので、そうしたテクニックだけの小手先人間と長時間一緒にいると、そのテクニックに感情が乗ってないことに気づいてしまう。

表面でいくら笑顔で丁寧に接していても、一度その裏にある顔が見えてしまうと、もうその人を信用できなくなる。

良好な長期的人間関係を築く事はできなくなる。

感情が入っていないこと、これがテクニックを利用してはいけない最大の要因。

人格は感情を伴う

それでは人格と感情の関係性はどうなっているのか。

感情とはそもそも元を辿れば、その人間の人格や心から生まれるものと言える。

人格が備わっていれば、言動の端々にその人の人格から生まれる感情が付随するはず。

その感情が言葉にのって、コミュニケーションの中で相手に伝わる。

それを受け取った側は、相手の言葉が本人の心の底から生まれている言葉なのだと信じられることで、

相手に対しての心理的安全性を感じ取ることができるようになる。

すると両者の間には絶大なる信頼関係が生まれ、長期的に良好な人間関係が築ける。

現代人は短時間で結果を出したい。効率重視、生産性重視の超資本主義的な世の中になってしまったが。

本来コミュニケーションとは時間のかかるものであり。

しかも、それが長期的に良好なコミュニケーションを構築しようとすると、もはや小手先のテクニックでは通用しなくなる。

人格を磨いて、心を磨いて、何も考えない言動が自然と相手に信頼を生む、それくらいの人格が備わって初めて、

他者との良好な人間関係が築ける。

つまり、非常に時間を要するものがコミュニケーションであり、人間関係なのだ。

急がば回れ。フェスティナ・レンテ。

って話でした!

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