諦めることも時には大切かも知れない

人生論

こんにちは!トモです。

最近、人生においてなんとなくわかってきたことがある。

諦めも肝心」ということ。

ただ、もしかしたら皆が思っているような諦めとは少し違うかもしれないけど。

諦めの精神を持つと少し生きやすくなったので、なぜそこに至ったのか順を追って説明します。

僕はもともとせっかちな人間

関西出身だからなのか、そういう家系なのか、僕は周りの人から見ても結構せっかちな人間らしい。

そのせっかちが如実に表れているのが「歩くスピード」。

僕の歩くスピードは普通に歩いても人の1.5倍以上速い。

生活する上で別に困りそうにない問題のように見えるけど、東京で暮らして初めて困りました。

東京駅とか新宿、渋谷どこにいっても沢山の人がいて、その人たちの歩くスピードが尋常じゃなく遅い。(僕にとって)

特に、通勤時の東京駅の人の多さと歩く遅さは僕にとって少し不快なレベルでした。

なんでこんなに歩くのが遅いんだろう。って毎日思っていましたね。

しかも時にはぶつかってくる人もいたり、スマホを触りながら前を見ずに歩く人、ゆ~っくり歩く人、急に立ち止まる人や方向転換する人。。。

サッサと歩いて行きたいのに、全然自分のペースで歩けない

「自分のペース」って重要ですよね。人それぞれ自分のペースがあると思うけど、それを乱されるとなかなかうまくゆかない。

そんなことに毎日少しネガティブな感情を持っていました。

色々試してみた

でも、通勤て毎日のことだから、これはどうかしないと自分のストレスが溜まってしまう。

そこで、色々と試してみました。

ルートを変える

東京の電車って本当に素晴らしくて、1つの目的地に対して複数のルートがある。

僕の職場への行き方も2通りあったので、東京駅を使わないルートで行ってみることにした。

結果、、東京はどこも人で溢れているとわかりました。

駅を使わずに職場まで歩いてしまう

これ、なかなかいい!笑

僕の職場は東京駅から歩いていける距離にあるので、東京駅までは電車で行き、東京駅からは外を歩くことにしてみました。

すると、人があまりいないので、スイスイ歩けちゃう。

ただ、夏は暑すぎるので厳しいのと、東京駅を出るまではやはり多くの人と接触する。。。

禅を取り入れてみた

禅の教えの中に「怒らないためにはどうするればよいか」という考え方があります。

方法は沢山あるんですけど、その中の一つに、「今この瞬間だけに集中して起きていることを頭で考える」というものがある。

簡単に言えば、自分の置かれた状況や現状を実況中継する方法

幽体離脱したかのように、自分を外側から客観視して見る。

「右足出した、左足出した、右足出した、前を向いた、方向を変えた、エレベーターを選んだ、右足出した・・・」のように。笑

自分の行動を漏れなく実況する。すると、そこに集中がいき、周りの人の行動も客観的に見る事ができて感情を左右されない、らしい。

何度か挑戦してみたけど、確かに、実況中継するとたとえ周りの人が邪魔するような行動をしても、

「いきなり目の前の人が止まった、急に方向転換した、僕は一瞬立ち止まり、左に避けた・・・」

という感じで、自分の感情を置いて起きてることを客観視できるようになり、不快に思う回数は減った。

でも、やっぱり人間なので頭の中で実況しながら歩くのを忘れたり、急に人にぶつかられたりすると、なかなか感情を置いとくことができない時もある。

行動を変えるより思考を変えた方が良い

色々試してわかったのは、実際の行動を変えるよりも思考、考え方を変えた方が良いのかなって思った

ルートを変えたり、歩き方を変えたり、人の避け方を変えても、ストレスはあまりかわらなかった。

それよりも、禅の実況中継のように、自分の思考、考え方を変えてみた方がストレスが減ったように思う。

考え方で言うと、他にもいくつか実践してみた。

期待しない

人は相手がこうしてくれるとか勝手に期待して、そうならないと怒る。

でも、なぜ相手がこうしてくれるなんてわかるのか。そんなものわからない。

だから、相手に期待しなければ、相手がどうしようと結果に対して怒ることは無くなる。

前から来る人が避けてくれると期待して、避けてくれないと怒る。

だから、相手が避けてくれるなんて期待しない。だから自分で避ける。

前の人が早く歩くなんて期待しない、だから遅くても「やはり」と思える。

受け入れる

人生で起こること全てを受け入れてみる。

今、自分の目の前で起きていること全てを受け入れてみる。

すると、誰かが歩くのが遅くても、急に立ち止まっても、受け入れる姿勢でいれば、あまり心を乱されない。

求めない

相手に何も求めない。

速く歩いてくれなんて求めない。急に立ち止まらないでくれなんて求めない。

(期待しないに少し似ているかもしれない)

最後に辿り着いたのが「諦める」ことだった

期待しない、受け入れる、求めない、これらの思考は全て「諦める」ことに繋がっている。

僕はこんな風に考えることにしてみた。

僕達の人生はスクリーンに映し出される映画のようなもので、本当は外からそれを見ているだけなのに、いつの間にか自分が映画に登場する主人公になりきっているように錯覚してしまっている。

そして映画が思っているような展開に進まない場合、僕達はもがくのだ。

怒ったり、反抗してみたり、攻撃したりする。しかし、そんなことをしても実際の自分はスクリーンの外にいるので、映画が映るスクリーンを叩いてるだけ。

スクリーンを叩いても、そこに映し出される映画には何の影響も起きない。

僕達がやっていることはこういうことなのではないかと考えた。(この説明が感覚的なものなのであまり理解できないかもしれないけど)

人生とは大きな川の流れのようなもので、もがいたり、流れに逆らっても大きな川の流れには敵わない。みたいな。

無駄に体力を消耗するだけだ。

だから、流れに逆らわずに、流れに身を任せる。

それが、期待しないことだったり、受け入れることだったり、求めないことだったりに当たる。

そうして、今起きてることに対して何も抗わない、諦めてしまった方が、よっぽどストレスなく暮らせる。そんな風に気づきました。

まさか、東京駅を歩くだけでこんな重要な事に気付けるとは思ってもいませんでしたが。

諦める気持ちがあれば、人の性格とか、人間関係とか、色んな事に対して抱えている問題を根本的に解決してくれるかもしれません。

僕は人生戦うことよりも、ストレスなく幸せに生きることの方が重要だと思っているので、この「諦める」っていう考え方がストンと心に落ちました。

今思えば、僕がインドでバックパックを盗まれた時も、一種の諦めがあったから前に進めたのかもしれない。

あの時バックに執着していたらもっと危ない目に合ってたかもしれないし、帰国を選んだかもしれない。

諦める気持ちがあったから、今起きていることを全て受け入れることができた。

って話でした!

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