こんにちは!ともです。
僕は老子の考え方が大好きです。
老荘思想って聞いたことありますか?
昔の中国に生きた賢人で老子さんと荘子さんという方がいて、その方の思想をまとめて老荘思想って呼ばれています。
僕は老子さんの考え方がかなり自分の価値観に合ってるなと思い、時折本を読み返します。
老子さん、道教の祖ですが。
僕も道(タオ)とか、道教とか、詳しいわけではありません。
ので、今日書く内容は、あくまで一個人の勝手な解釈です。笑
老子の最大の教えは「人生柔らかく生きようよ」ってこと
上善如水とは老子の言葉ですが。
意味としては、(超、超訳すると笑)
最高にいいのは水のように生きること。
ってことですかね。
水って、自ら低い場所に低い場所に流れて行きますよね。腰が低い。
どんな場所にもフィットして見せる。適応力高め。
でも、よく考えたら生命の源で、水がなければ万物生きることができない。
でも偉ぶることもなく。
ただ、怒った時は高波のようにすごく力強い、人間が到底敵わないような一面も持っている。
そんな水のように生きることが最上級の生き方だよ的な感じでしょうか。
柔よく剛を制すと言いますが、本当に水って柔らかさの頂点でありながら、強さの頂点にもいますよね。
柔らかさは強い
柔よく剛を制すも老子的な考え方の説明としてはとても合っていて。
老子の思考を説明するときによく使われる説明ですが。
例えば、一本の大木があるとする。とても太い幹で、見るからに力強さを感じることができる。
でも、一度嵐が来たらどうなるか。
ポキッと折れちゃう。。。
力強さという執着が抵抗を生み、力で負けたとき、死を意味する。
でも、例えば雑草のように弱々しく柔らかい草はどうか。
嵐の間中、風に流されまくる。でも、嵐が一度去ると、しっかりとそこにとどまっている。
命を繋ぎ止めている。いくら踏まれても、死なない雑草。
これこそが真の強さなんじゃないかって。
死んだライオンよりも生きた犬っていう言葉も聞いたことがありますが。
いくら優秀で強くても、死んでしまったら意味がない。
人生最終的に生きてなくちゃ何もできないんだ的な意味でしょうか。
そういう意味で、雑草は一見大木に比べて、弱く、能力も低いように見えがちですが、案外そんな弱さが柔らかさがどんな状況にも屈せずに生きていける強さなんじゃないかって。
多分老子はそういうことを言いたかったんじゃないかって、僕は勝手にそう解釈しています。
これは、例えば今の資本主義社会の人間社会に当てはめるとどうなるか。
地位富名声を得た、いわゆる世間でいう成功者。
一見強い存在のように見えがちですよね。
でも、地位を脅かす存在にいつもビクビクしなければならないし、名声があるからこそ下手なことはできない。富を狙って様々な人間が近寄ってくる。
大変です。(僕はそんな世界のこと全く知らないので妄想でしかありませんが笑)
でも、地位も富も名声もなけりゃどうですか?
守るべきプライドも何もない。気楽でいいじゃん。笑
毎日何かを失う恐怖に怯える成功者と、失うものが何もない一般人。
幸せなのはどっちか?笑
そんな風に考えることもできる。
一番大切なもの
老子はこうも言ってます。
名声と生命はどちらが大切か?
財産と生命はどちらが大切か?
もちろん生命である。
しかし、名声や財産を得るために、なんと生命をすり減らしているものの多いことか、、、
確かに。笑
本当にそうだと思います。
例えば自分が勉強が心の底から好きならまだしも。勉強は嫌い。だけど親や世間が言うから勉強するって気持ちで、毎日大嫌いな勉強に向き合う。
これも、生命をすり減らしていますよね。
お金を得るために、名声を得るために、人を蹴落として、欺いて、嘘をついてでも手に入れようとする。
一日中頑張って、寝食を惜しんで働いて。
どれだけ生命を削ってるか。
でも、それは生命を削るだけの価値があるのか?
いや、生命があることこそ一番大切なのです。
その優先順位を間違えてはいけないんじゃないか?って僕は思います。
例えば、ちょっと嫌なことがあっただけで、めちゃくちゃ憤慨する。笑
少し嫌なことがあっただけでめちゃくちゃ落ち込む。
でもね、命があるだけで幸せじゃないでしょうか?
なんか、老子の思考を読み解くと、生きてるだけで幸せなんだよ。
だから、わざわざ成功者になる必要もないし、頑張りすぎる必要もない。
それでも毎日実は幸せなんだよ。って言われてるような気がします。
そして僕もその考え方に共感するからこそ、老子の考え方が好きなんです。
100万円がないと幸せになれない人と、道端の花の美しいのを見るだけで幸せを感じられる人。
どちらが人生でより多くの幸せを体験できそうでしょうか?
多分後者ですよね。
老子さんはこう言うことが言いたいんじゃないかって、僕は勝手にそう思ってます。
って話でした!