健全な精神は健全な肉体に宿るは本当か

人生論

こんにちは!トモです。

最近コロナ禍において「健康」を意識する人増えたんじゃないでしょうか?

何を隠そう、僕自身、最近3万円もするOura ringって指輪を買ってしまいました。笑

ウェアラブルデバイスで自身の様々な健康数値を測ってくれるもので。

まあ、僕の場合コロナはあまり関係なかったんですが、ちょっとやってみようかなと思い。

で、早速本日のテーマに。

「健全な精神は健全な肉体に宿る」は本当か

この言葉、よく聞きますよね。

他にも、「健全な肉体無くして健全な精神なし」とか。

出典元を調べると、実は元々はこういうことを言ってたんじゃないってことがわかります。

この言葉の生みの親は、ユウェナリスという古代ローマ時代の風刺詩人だそうです。

彼が著した「風刺詩集」の中で、彼は人々が神に富や地位や才能について祈っていることに対して、神に祈るべきは「健やかな身体と健やかな魂が願われるべきである」と述べたそうです。

それが、いつの間にか「健全な肉体に健全な魂が宿る」と誤訳され広まったそうです。

「健全な肉体無くして健全な精神なし」という考え方でいけば「身体が不健康であれば健全な精神が宿らない」とも受け取れてしまう。

でも、元々ちっともそんなことを言い表した言葉ではなかったということですね。

体と精神は別

僕は幼い頃結構病弱で、風邪をひきやすかったりしました。

風邪をひくと、どうしても心も弱気になってしまう。

大人になって仕事でかなり疲れた時とか「あぁ、しんどいなぁ」「あぁ、疲れたなぁ」と心まで疲弊していました。

でも、あるとき中村天風という方が書いた本に「体に病を患っても精神まで病ます必要はない」とあるのを読んでハッと気付かされたことがありました。

そうか、肉体と精神は別物なんだって。

僕は昔から偏頭痛も多くて。頭が痛いと元気でないし、やる気も出なかった。

今までは偏頭痛のせいにして、元気なく過ごしていたけど、そうじゃないんだって気付かされた。

別に頭は痛いかもしれないけど、それは体に現れたサインなだけであって、精神はどこも痛くない。

頭が痛いけど、精神は元気に保ことはできるんだって。

それからは体に不調をきたしても、体は体、精神は別、と考えられるようになり、精神まで病ませることはなくなり、かなり楽になりました。

というか自分で楽じゃない方に肉体も精神までも持っていってただけだった。。。

ある日テレビを見ていた時、イモトアヤコさんがキリマンジャロかどこかの登山に挑んでいたのを見ました。

頂上手前あたりでテレビ中継が入り、一見元気そうに話しているけど、口では頭が痛い、クラクラすると話し。

一旦画面からフレームアウトして「オエー!」って吐いてはいなかったけどえづいたあと、また画面に戻ってきて笑顔で頑張りますと答えていました。

おお、まさに体と精神は別を地で行ってるなこの人は、と思いました。

逆に病は気からは気をつけたほうが良いかも

それでは逆に、病は気からというのはどうなんだって思いますよね。

体と精神が別なら、気(気持ち・精神)から病が発症することもないんじゃないか。

この言葉は嘘なんじゃないかって。

や、僕はこの言葉は本当だと思っています。

精神が体の不調に引っ張られて元気を失ってしまうように、精神の不調にひっぱられて体に病が発症することもあり得ると僕は思います。

あと、プラシーボ効果が実際に人間には起きるということは、やはり気持ちや思考が病をつくってしまうことはあるだろう、と。

昔小さい頃、僕が入院していて、そこに家族が見舞いに来てくれたことがありました。

そのとき、弟が「いいな、僕も入院したいな」って、学校に行かずベッドに寝て漫画を読んでテレビを見ているだけの生活を羨ましがってか、そんなふうに発言しました。

子供の純粋な気持ちとは強いもので、「入院したい入院したい」と心から願った弟は、本当に数週間以内に病気で入院することになりました。

親からしたら、僕が退院したら次は弟と、病院にかかりっきりになって大変でしたよね、きっと。

あの経験で、病は気からってのは本当だって信じるようになりました。

肉体と精神は別だから、肉体が病んでいるからといって気持ちまで病ます必要はない。

肉体は健康なのに気持ちを病ますとそれは肉体にまで影響するから、できるだけ快活な精神でいたほうが良い。

ってのがまとめですかね。

って話でした!