板書は正しいノートの取り方じゃない

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こんにちは!トモです。

以前、「読書という行為」という読書についての記事を書きました。


こちらの記事が思いのほか反響があり。

超要約すると、子供の頃「読書」といえばもっぱら物語の本を読むことを指す。物語とはイチから読まないと登場人物や背景がわからない。だから最初から最後まできちんと読む。

これが「読書」という習慣になって大人になる。すると大人になると教養書、実用書、ビジネス書、専門書、参考書といった、物語のようなストーリー構成になってない本を読む機会が多くなる。

にも関わらず、人は最初から最後まで本を読むことを読書、という認識なので、どんな種類の本も最初から最後まできっちり読まないと気が済まなくなってしまっている。

でも、人生の時間は有限で限られているので、貴重な時間を全て1冊の本に捧げられない。だから、大人になったら読書の仕方を変える必要がある。要は、最初のページから最後まできちんと読まないで要点を抜き出せるような読書の仕方が必要になる。

といった類のことを書きました。

子供の頃に「こういうものだ」って教わり長年そのやり方をしていると、それが当たり前になってしまう。

でも、大人になるにつれて、色々と方法を変えなければならないものもある、と僕は思う。

読書がまさにそれだったけど、他にもある。それが今日のテーマのノートの取り方

今日はこのことについて書きたい。

ノートを取る=板書する。は間違い

多分、ごく一般の子供のほとんどが学校の授業で先生が黒板に書いた通りにノートに書き写す、いわゆる板書方式をノートの取り方としていると思う。

で、その中でも賢い子、頭の良い子がそこに自分なりの解釈を踏まえたり、覚えやすいようなノートの取り方をアレンジしているんじゃないかって、僕は思う。

なぜ板書するように先生は教えるのか。

その理由として1つ目が、子供がまだ自分なりのノートの取り方を知らないから、とりあえず書き写さ瀬ている。
2つ目が、先生自体ノートの取り方についての重要性を認識していない。

この2つの理由で、多分子供たちに一律板書しなさいって教えてるんだと、僕は思う。

もし、ここに天才の子がいて、ノートなんて取らなくても先生が黒板に書いた内容を写真のように記憶できる子がいたら、そしてそのデータをいつでも頭から引っ張り出せるとしたら、そんな子供はノートを取る必要ないですよね。

授業で大切なのは、習ったことを覚えられことであって、ノートを取ることじゃない。まずこれが前提。

でも、普通の人は上で書いたような天才じゃない。聞いたことを全て頭に保存したり、それをいつでも引っ張り出せたりしない。

だから、その手助けとしてノートを取っている。ってことをまず理解しないといけないと思う。

だから、ノートを取る目的は、先生が教えてくれたことをわかりやすく自分なりにまとめて、いつでもその情報を思い返せるような形にすること、じゃないでしょうか。

だから、一概に板書しなさいって教えるのは少しおかしいと思う。自分が思い出せるようにノートは書かせるべきなんです。そして先生もそのように教えるべきだと僕は思っています。

板書はコピペにしかならない

黒板に先生が書く内容というのは、先生が自分で保管しているデータ情報、と言える。

先生なりに情報を整理して、一番記憶に残りやすいように無駄を省いて整理した形。

それを先生は黒板に書いている。先生がインプットした情報を黒板にアウトプットしているということになる。

そして板書をするということは、その先生が持ってるデータを自分のノートにインプットする。

これっていわば単なるコピペですよね。データ情報を移行しただけ。

もちろん、書くことで覚えるってことかもしれませんが、本当に記憶に定着させるなら、一度情報を自分の中に潜らせる必要がある。

それは自分なりに理解して、自分の解釈を持って納得すること。そのためには情報を自分の中に一度取り込まないといけない。のに、書かれたことをそのまま書き写すだけだと、それは書き写した行為にしかならず自分の中を潜らない。だからコピペ止まりで記憶の定着にまでゆかない。

自分なりの方法でノートを取る

じゃあ、ノートはどう書くべきなのか。それは自分なりの方法で書く、これに尽きる。

自分なりの方法とは、覚えたい、覚えるべき情報を、自分なりの解釈で自分なりの理解した内容でノートに書く。

人それぞれ物事の記憶の仕方は違う。

例えば、聞いた方が覚えれる人もいるし、体を使った方が覚えれる人もいる。文字だけじゃなくてイラストを入れた方が覚えられたり、様々な色を使って、その時の教室の雰囲気と一緒に覚える人も、いろんな覚え方の人がいる。

ノートも同じように、自分が一番覚えやすい方法で書けば良い。あくまでノートというのは、人間は全ての情報を頭に記憶できないんだから、ノートに書いて保管する、ことが目的なので。

何か物事を思いだしたい時に辞書を引くように、あれはどういうことだったかなと思い出すときに自分のノートを見て簡単に思い返せる。そんなノートの取り方をすべき。

ということは、人それぞれノートの取り方が変わってきて当然。

もし、自分は物覚えが悪いなとか、ノートに書いてるのに全然覚えられないって方は、自分なりの方法をまずは探してみるのがいいかもしれない。

子供の時にノートを取るというのは板書することと教えられて、それを大人になってもずっと同じ方法を取っているというのは、もしかしたら勉知らないうちに自分に取って非効率なやり方を、強の弊害を作っていたかもしれない。

そう考えると、やはり学校の先生は「板書しなさい」というのではなく、「教わったことを自分なりの解釈で、理解した内容で、いつでもノートを見返せば思い出せるような書き方でノートを取りなさい」と教えるべきなのではないか、と僕は思います。

って話でした!