こんにちは!トモです。
このブログは主に、人生の黄金時間に当たる大学生活を送られている方に向けて、自分自身が大学生の時に知っていたら嬉しかったな的な知識を発信しています。
3年半バックパッカーで世界を旅した経験と今まで3千冊以上の本を読んで学んだことをベースに記事を書いています。
最近よく考えるのが仕事の生産性だったり、効率化について。
コロナで世界がガラッと変わってしまい、またここにきてAIとか機械化、DXがすごいスピードで進んできて、否応無しにも考えざるを得ない状況ですよね。
個人的には特にですが、なぜ日本の生産性が世界的にみてこれほどまでに低いのか。これも非常に気になっています。
通説ではゾンビ化した中小企業が多すぎるとか、日本の雇用文化的に人流が生まれない仕組みだったり、成果報酬ではなく時間報酬が問題とか、色々と言われていますが。
今日はそんなこんなで生産性の歴史を振り返りながら、最終的に今日のテーマに掲げているように「時間にレバレッジをかけよう」って結論に導きたいと思います。
生産性とは「成果/時間」
まず初めに生産性について考えた時、そもそも生産性ってなんだと言うと、成果を時間で割ったものといえると思います。簡単に説明すると。
ここからは算数の問題なので簡単だと思いますが、生産性を上げようと思えばどうすればいいのか。
答えは簡単で、
- 同じ時間で成果を拡大する
- 同じ成果で時間を縮小する
こうすることで生産性は向上しますよね。
こんなにも答えが簡単で分かりきっているのにも関わらず日本人の生産性がいつまでも向上しないのはなぜなのでしょう。一つよく言われているのが日本人は成果を大きくするために、単純に労働時間を長くしているということが挙げられます。
休日出勤したり、恒常的に残業したりして、労働に投入する時間が長くなればそれに比例して成果も大きくなるかもしれませんが、生産性は向上しない。同じ生産性でただ長く働いただけになる。
日本人が考えるべきは、いかに今までよりも短い時間で同じ成果を出すことができるかですよね。
日本のIT化やDXが世界に比べて進みが遅いと言われる理由、、なんだか生産性の話とも非常に関連がありそうじゃないでしょうか。。
まず初めに日本の生産性についての疑問を書いてしまいましたが。ここからは一旦、世界の歴史の中で生産性はどのように変化していったのかをみてみたいと思います。
大きな歴史を俯瞰することで、現代の僕たちは一体どのように働くべきなのか、どのように生産性を活用すべきなのかが見えてくるようにも思います。
狩猟採集時代
農耕以前の狩猟採集時代に生産性なんて考え方があったのかはさておき、この時代の生産性を取り上げるとしたら、それはいかに狩りをして動物や植物を獲得できるか、水を獲得できるかという話だと思います。
道具の獲得
多分この時代の鍵になるのは「道具」ですよね。
道具の無かった本当に生身の人間だけの時代、狩をしようとすると、人間たちが走って動物を追いかけて、生身で捕まえて生捕りにする。そうした方法しかなかったと思います。
そこに人間は打製石器などの「石」という道具を使う方法を身につけた。石を使うことで生身の人間には作り出せないパワーを生み出し、少人数で狩を行うこと、また少人数で大型の動物を仕留めることを可能にした。
火の獲得
こうした道具以外にもう一つ人類にとって大きな発明?発見?だったのは「火」を使うようになったこと。最初は雷や火山の噴火によって自然発生的に生まれた火を活用したとも言われてますが。
ちなみに、動物は無意識(本能)的に火を恐れる習性があります。しかしなぜ人間だけが火を恐れなかったのか。火に興味を持ってそれに近づき、そして最終的には利用するようになったのか。
一説には人間には意識があり、意識には無意識による動物的反射プログラムを抑制する働きがある。そして考えて行動することができたためとも言われているようです。
火はもうそれはそれはあり得ないほどの革命と生産性を人類にもたらしたと思います。
食事
火を使うことで調理が可能になり、調理された肉は消化吸収を助け、それまで数時間かけていた食事の時間を数十分から1時間程度まで短縮してくれるようになった。
土器
火を使うことで土器を作ることも可能になり、それによってお皿や水瓶が作れて、水の保存や運搬が可能になった。
わざわざ湖や川の近くに住まなくても、動物から身を守れる、また日中は日差しを遮れる森の中でも生活できるようになった。(これ、完全に個人的見解です!)
生活
火を使うことで動物を撃退することもできるようになり、また夜という暗闇時間を利用することもできるようになった。
それまでは太陽の昇っている時間しか利用できなかったのが、人類は新しく使える時間を生み出した。それは火のおかげだった。
このように火(光)の獲得は人類にとって大きな大きな財産となった。こう考えると、火って偉大すぎますよね。。
農耕時代
次に農耕時代の生産性について考えてみたいと思います。農耕によってもたらされた一番の革命は人類が定住生活を始めたということ。※農耕と定住はどちらが先かという議論はありますが。
一説には半定住的なライフスタイルが先に生まれていて、その後、農耕によって定住生活が決定的となったとも言われています。
どちらにせよ、定住をするようになったことで人類は道具を多く持てる、保管できるようになったともいえると思います。
それまで狩猟採集時代というのは基本的に餌を探して「移動」することがメインの生活様式だったので、家を建てることもなければ(簡易的な家は建てる)、道具をたくさん持っていても運べなかったと思うので、最小限の物しか持たない生活をしていたと考えられます。
また食料を大量に確保しても持ち運ぶのが手間なので、少量は保存して持ち歩いたと思いますが、大方その日その日食べる分を探して獲って食べていたんじゃないでしょうか。
しかし定住をするようになり、物を置いておけるようになった人類は、それならもっと便利なものが欲しいよなと思うようになり、どんどん道具を発明、進化させていった。
その中でまずは打製石器が磨製石器になった。調理や農作物の収穫といった部分で磨製石器の性能は打製石器のン十倍となり、同じ時間で何倍もの成果を上げるようになったと考えると、これも生産性向上に非常に貢献したといえるでしょう。
青銅器・鉄器
この時代の特徴としては道具が石や土から金属を使うようになったこと。
今日の記事はあくまで歴史の復習とか、専門知識を持った者が喋っているわけではないので、エクストリームに俯瞰してざっくりと書いていることをご容赦ください。
石器時代から青銅器や鉄器といった金属を利用するようになった人類は、石よりも加工と耐久性に優れた金属を手に入れて、さらに生産性を向上させていきました。主に農業と戦いにおいて。
産業革命
農耕と定住革命の次は、、産業革命。
え。もう2000年も時を飛ばすんですかって話なんですが。笑
もちろん、農耕が起こってから次に工業が起きるまでの数千年の間に数多の発明があり、数多の進歩を人類は成してきたと思います。
ただ、先史時代の定住と農耕革命による飢餓からの解放と人口爆発が人類史に大きな転機をもたらしたことを考えると、次に同じくらいの革命をもたらしたものは何かと言われればやはりそれは産業革命になるのではと思い、一気にここまで飛ばします。
産業革命において、人類の生産性は飛躍的に向上しました。なぜなら、もはやそれは人間の能力をはるかに凌駕しているから。
僕は人類が動物と違ってこれだけ進化できたのは道具を発明して使用することによって自分達の身体性を大きく拡張していくことができたことが大きいと書きました。
最初は自然界にある石や木といった簡単なものを使って道具を作り利用することから始まり、最終的に機械と動力を発明し、それらを支配したことによって、人間は自分達の身体性では実現不可能な成果を上げることを可能にした。
人類は産業革命によって、それまでの家内製手工業といった非常に限られた生産性から、工場製機械工業という破壊的な生産性向上を実現した。
産業革命以前、成果物は人間の手によって生み出されていた。しかし、一人の人間によって作り出される成果物というのには非常に限界があった。
どれだけ身長が高い人間、足の速い人間、手の大きい人間や器用な人間がいたとして、1時間あたりに何かを生産できる量には限度があったし、正確性や品質にも限度があった。これは人間の身体性による制限であり、どうしようもない限界点である。
しかし、そこに機械という非常に精密な運動をする仕組みと、蒸気や電気といった新しいエネルギーが発明されたことによって、人間の能力以上の仕事が可能になった。
これは上の生産性の方程式で考えると、①の成果はこれまでと比較にならないほど大きくなり、②の時間はこれまでと比較にならないほど小さくなった。
分子が大きく、分母が小さくなっているのだから、生産性は非常に大きくなったといえる。
人間は自分の身体的能力に依存している限り、時間あたりにあげられる成果というのはどうしても人間の身体性と時間の相関関係に依存してしまう。そこを道具や機械に頼ることで、時間にレバレッジをかけられるようになり、大きな成果が見込めるようになる。
ここで初めて生産性が向上する。
産業革命は人類全体の生産性を飛躍的に向上させた。つまり新しい時間創出を産んだという意味でも、人類史にとって非常に大きな功績といえよう。
注意点としては、この大量生産が可能になったことで、物は安価になり、多くの人の手に物が渡るようになった。
これは一見良いことのようにも見えるのだけど。大量生産するための設備というのは資産家の初期投資によって賄われている。
最初に投じられた莫大な初期投資(という借金)を返済するために、大量生産したものを「売り尽くす」必要がここに初めて生まれた。
そうしてマーケティングや広告といった新たなビジネス手法が誕生し、それまでは必要な物だけを買っていた消費者に、欲求によって物を買わせる世の中が誕生したともいえる。
IT革命
産業革命によって大量生産、大量消費、大量廃棄社会と資本主義の世の中が完全に確立したといってもいいと思う。
そして、そんな産業革命の次に起きたのがIT革命。
日本で起きたITバブルは一旦置いておいておくとして、ここでいうIT革命は広義な意味において現代にまで通じるインターネットとデバイスの普及、これらを総称してIT革命と呼ぶことにします。
IT革命が起こしたものといえば(たくさんありますが)、今日の本題に沿って言うなれば、もちろん「時間」にとてつもないレバレッジをかけたことに加えて、「空間」にも非常に大きなレバレッジをかけたのがITの功績の一つといえる。
情報は瞬時に地球の裏まで
時間レバレッジに関していうと、あえて説明する必要はないと思いますが。
ネットとスマホの普及によって大量の情報がデジタル化して、一瞬で地球の裏まで到達するようになりました。「情報」って実態のない見えないものって認識が強く、情報の移動に物理的な制約があったなどといってもよく理解できないかもしれませんが。
簡単に言えば、古代においての情報とは石に刻まれた文字。石を彫るのにも労力がいるし、運搬するのにも労力が必要。
その次に紙を発明したことで軽くて大量に情報を運搬、伝達できるようになった。
それでも、デジタルには敵わない。紙の情報を地球の裏に届けようと思うと最速でも数日から下手したら数週間はかかる。しかし、デジタルはこれを一瞬の内に非常に正確に情報を届けることを可能にしました。
つまり、時間を超短縮できるということは、時間にレバレッジを効かせているとも言えます。
他にも、情報が価値を持つ時代が到来した(情報はいつの時代も価値を持ってましたが笑)ことによって、デジタルは非常に簡単に複製が可能であることから製造?にかかる時間コストは飛躍的に縮小した。これもまた言葉で書くと大したことなさそうに見えますが、実際には非常にエグいことがビジネスで起きている。
在庫ゼロ
情報が価値を持つ時代になって変わったことは、物理的な、物質的な何か価値のある物を製造、保管、管理する必要がなくなったという点。つまり情報は簡単に複製可能で、いくらでも販売可能。
これまではビジネスと言えば土地を借りて、工場やお店を建てて、人を雇って、ビジネスを運営してお金を稼ぐことが主流でした。
しかし、広い土地も、建物も、たくさんの従業員も必要なく、たった数人で小さな部屋でビジネスを起業できるようになった。IT革命は大きな倉庫を借りる必要もなく、自宅の部屋やガレージでパソコンとネットだけがあればビジネスを可能にした。
それでいて利益率はこれまでのビジネスとは比較にならないくらい大きくなり(コストが圧縮されている分)、それは巨大な利益を意味していて、最終的には小さなスタートで非常に大きな果実を手に入れることができる時代になったということです。
これがジャイアントテックが謳歌した1900年最後の数十年と2000年代の話。
時間にも空間にも、そしてお金にも非常に、非常に大きなレバレッジをかけることができるようになった時代です。
AI革命
さて、狩猟採集の時代から始まり、農耕や定住革命が起きて、その次に産業革命が起き、IT革命へと繋がって現代に至る。
例えば「移動」に着目してみると、大航海時代というそれまで陸地のみで全てが完結していた時代から、海を利用する時代が到来して、それはやがて空を利用する時代にまで至り、果ては宇宙を利用する時代にまでなりました。
こうした発展も少なからず(いや、非常に大きな)変革を人類史にもたらしたことはいうまでもありませんが、今日は割愛しています。笑
この次の革命は一体なんなのか?
もう、すでに人類は足を突っ込んでいる。というよりも今まさに世界が包まれている真っ最中だと思います。
それがAI革命。
はい、僕は全くAIの専門家でもなんでもないですよ。なので、これがどういう未来をもたらすかは予測することしかできません。しかし、このAI革命こそが人類の歴史に非常に大きな変革をもたらすことはもはや疑いようのない事実ですよね。
であれば「AIに仕事が奪われる〜」などと叫んでいる暇はなく、現実を直視しなければならない。何が起きているのか。
ただ今日の記事のテーマはあくまで「時間にレバレッジをかけよう」なので、焦点はそちらに当てて話を進めたいと思います。
人類は技術進歩を利用することで身体性を拡張して(能力を拡張して)、それにより時間を短縮させ(=生産性を向上させ)、そうして生まれた新たな時間を使ってさらに進歩を遂げてきた。
AIという技術進歩も必ずその一助になるはずなのです。
では、AIがもたらす時間短縮、時間創出はどこに生まれるのか。そこに着眼してみたいと思います。
大半の勉強(時間)は不要になる
完全に勉強すること自体が不要にはもちろんならないですが。
今学習に費やしている時間、学業期における勉強時間はAIによる学習とフィードバックによって確実にこれまでよりも短くできると僕は思っています。
勉強や、何かを習得しようとした時に大切になってくるのはそれをわかりやすく教えてくれる、自分の学習の進捗を確認しながら正しいフィードバックをくれる存在。つまり先生。
しかし世の中は圧倒的に先生の数の方が生徒の数よりも少ない。これは経済合理性を考えれば当然と言えば当然。一人に教えるよりも二人、もしくはそれ以上に一緒に教えた方が同じ空間時間を使うなら効率が良いので。(逆に言えば高額な料金を払えばどんな分野でもプライベートコーチはつけられる)
ということで、これまでの時代「みんな一緒に学習する」が当たり前で、そうなると先生が一人一人に割ける時間は短くなるのも当たり前で、そうなると(自分にとって)わかりやすく教えてもらうことや、正しいフィードバックを受けるのは困難になる。
だから今の学習方法ではどうしても無駄な時間や労力がかかってしまい、遠回りをしているようなもの。
しかしこれからは一人に一人(?)のAI先生が当たり前の時代になる。そうなると、一人一人自分に最適化された教育を享受でき、学習スピードは当人のスピードに合わせて加速することで、これまで無駄にかかっていた学習時間を削ることができるようになる。
と、ここら辺のことは実は前の記事でも書いているので、興味ある方はお読みいただければと思います。
インターネットとスマホが普及したことで、記憶力よりも検索力の時代になりました。
それでもいまだに学校の試験では「記憶力」が試されます。もちろん記憶力があるに越したことはないですが、実際に生きている中で、例えば少し漢字を間違えただけで致命的なミスになることはありませんよね。なんならその場でスマホを使って一瞬で調べられるので実生活において漢字を書き間違えることはほぼない。
それなのに、試験というスマホを使うことの許されない非現実的な空間で漢字の読み書きの能力が試されるというのは、いかがなものかと僕はちょっと思っちゃったりもします。
もはや現代の実生活においてスマホを使ってはいけない場面なんてほとんどないので。
となれば逆にこれからの時代、試験というものはスマホを使ってもOK、ノートを見返してもOK。そうしてこれまで自分達が学習した内容をもとに、答えの無い問いにどのように立ち向かうのか。その応用力を競った方がいいのでは?と考えたりもします。
将来的には人間とAIの共存も確実に訪れると考えると、試験はAIと一緒に受けるみたいな世界も来るかも。いや、もはや試験というもの自体がナンセンスになって廃止されるか、もっと別の形にとって変わりそうな気もしています。
それと、これは何も勉強だけに限った話ではなく、あらゆるスポーツのコーチング、技術や職人技を要するもののコーチング、なんでも同じように言えると思います。
スポーツで言えばAIカメラによって自分の身体の使い方にどこが改善点があるのか判断してフィードバックを受けるなども可能。この技術は生産工場などで人の動きを感知して一番生産性の高い人の動作とどこがズレているのかなども判断してフィードバックしてもらえる。
しかもコーチングに支払うべきお金も安価で済む。これこそ民主化。※ここで言う民主化とはお金の優劣なしにみんなが平等にコーチングを受けられるということ。
オリンピックなどを見てもわかるように出場している国のほとんどは先進国。これは先進国が経済的に発展して豊かになり、国民がスポーツに興じる時間を有していることを示している。しかもその上でお金を支払ってクラブに入ったり、コーチをつけて指導をしてもらえる環境が整っている。
発展途上国ではまだまだこうした余裕はなく、国民の多くがお金を得るために労働に従事しなければならなくなっている。
しかしこうした経済的格差による弊害が民主化によって取っ払われていくとしたら、今後は発展途上国の中で才能を眠らせている人々がその才能を開花させて日の目を見る時代がやってくるかもしれない。(もちろん経済的な理由による時間の創出をどうするかという問題は残るが)
僕はそうなって欲しいと思う。今この世を席巻しているのは全て日の目を見ることが許された人々によってのみ創造されている。しかしこの世界の何処かの山奥に陸上競技で世界一の才能が眠っているかもしれないし、何処かの村には今この世界が抱えている多くの問題を解決する頭脳の持ち主が眠っているかもしれない。ピカソやゴッホを超越した新しい芸術を生み出す人がどこかにいるかもしれない。
しかしまだそうした人々の才能がこの世に出てこないのは、経済的な理由によって単純にその人たちの「時間」がお金を得るための労働に消費されているから。
まだまだ世の中には貴重な才能が埋もれまくっていると思う。この才能を掘り起こすことができれば、人類はさらに文明を発達させることができると思う(それも良い方向に)。そのためには、人々に時間とお金の余裕が生まれる必要があり、その一助にAIがなるのではと考えています。
仕事のアシスタント
AIが今後一人一人のパーソナルアシスタントになるのはもう確実だと思います。
しかしそれはプライベートに限った話ではなく、ビジネスにおいてもそうなるでしょう。
たとえば会社において、課長や部長の生産性が高いのは部下を持っているからで。一つの大きなプロジェクトがあったとして、その仕事を部下に割り振ってやってもらうことで、自分一人ではできない仕事量をこなすことが可能になる。
入社したての平社員は部下がいないので全て自分一人ででやらないといけない。時間当たりにかけられる労働力は平社員が1(人)なのに対して、課長や部長は x(人: 部下の人数)となる。これも時間にレバレッジをかけていると言える。
何度か僕のブログで書いているかもですが、古代エジプトの王がピラミッドを建造できたのは、ファラオという一人の人間が何十万人という人々の時間と労働力を使うことができたからですよね。
一人の人間が1時間にできる身体的な仕事には限度がある。それは一般人でも国王でもほとんど変わらない。でも国王が一般人と違うのは人々に命令できるという力があったから。そうして大勢の人々を動かすことで同じ1時間でも全く別次元の生産が可能になった。
しかしこれからは入社したての平社員でも部下が持てる時代。それがAIアシスタント。すでに検索やMicrosoftにAIが投入されAIに指示したら自分のやって欲しいことをアウトプットしてくれるって時代には入ってきてますよね。これは立派なAIアシスタント。
AIアシスタントに、資料作成や要点をまとめてもらったり、議事録の作成、メール返信、時には創造性の必要なアイデア出し、最適化の計算、発注、予約、さまざまなことを頼める世の中がくると思います。そうなると、たとえ入社したての平社員であっても自分一人で生み出せる成果以上の生産が可能となる。
自分の複製(アバター)
AIとロボットが究極的に進化すれば自分のアバターを作り出せる。(というよりもすでに作って使っている人はいます!)
自分自身について非常に学習されたAIをアバターに実装して講演に行ってもらう。もちろん現代の技術ではまだアバター自身で移動はできないので、運ぶ人は必要。
すると、人間よりもアバターロボットの方が華麗なジェスチャーで上手に講演を実施してくれる。また声の抑揚なども聴衆に響くようにこれまた上手に行ってくれる。そうすると、賢いけど講演が苦手な本人が講演するよりもアバターが行った方が実はもっと大きな実りを聴衆に与えることが可能になるかもしれない。
しかもこのアバターライフが実現すると、これまで一人の人間は一つの時間で一つの場所にしか存在できなかったのが、同時に二つの場所で活動することが可能になったということ。つまり一つの時間で二倍の生産性を産んでいるとも言えますよね。
そう考えたら人類は有史以来ずっと「一人に与えられた1日の時間は24時間」という変えられない事実を変えることができる時代になる。
自分ともう一人のアバターが活動すれば、一人48時間が手に入る。
しかももう少し飛んだ話をすると、アバターが何かを学習し、それをオリジナルの本人に継承することができたら、、、。たとえばAIが学習したメモリーを人間の脳のインターフェースに埋め込むとか。
そうしたら、学習スピードも二倍になる。。
かなり現実離れした話だけど、多分将来的には可能になると僕は思います。
ちなみにアバターについては過去にこんな記事も書いてます。
技術を利用して時間にレバレッジをかけて生産性を上げよう
と、ここまで人類がどのようにして技術進歩を利用して人類の時間を創出してきたのか考察しました。
ここまでの歴史を振り返って見えてきたものがあります。
それは(1人の)人間の身体性に依存していては時間にレバレッジがかけられないということ。人間の体力だけを考えると、能力値は非常に非力です。
1人の人間が桑を使って1日に耕すことのできる農地の広さなんてたかが知れています。しかもそれは一般人でもオリンピックに出場するほどの怪力の持ち主でも、多分それほど変わらない。
つまり身体性向上による生産性向上はたかが知れている。どれだけ身体性の能力値を高めたところで成果はそこまで増えないし、時間もそこまで短縮できない。
時間にレバレッジをかけられない以上いつまで経っても生産性は向上できない。つまり身体性で生産性を向上することを考えない方がいい。
じゃあ、どうして生産性を上げればいいのか。それは人間の身体性以外の部分。脳によって考えること。チームを組むこと。技術(ハード・ソフトとしての機械)を使うこと。
脳を使うこと
これはドラッガーがこれからはフィジカルワーカーよりナレッジワーカーの時代になると言ったことでも有名ですが。
要は体を使って「今までよりもたくさん、早く処理しよう」とするのではなく「脳を使ってどうすれば今までよりたくさん、早く処理できるか考えて」その仕組みを構築した方がいいということだと思います。
身体性で問題を解決している以上、ずっと同じことを繰り返さなければならないし、一生何かが向上することはない。しかし脳を使って一度仕組みを構築さえできれば、一生自走してくれることで時間の経過と共にその差は歴然と開いていくと思います。
チームを組む
チームとはtogether everyone achieves moveの略。つまり、みんなで力を合わせれば全員以上の力が発揮できるというのがチームという考え方。
数学の世界では1+1=2ですが、実世界では1+1=3にも5にもなる。
そうしてチーム力によって時間にレバレッジが生まれ大きな成果を生むことができる。
技術を使うこと
これはずっと説明してきたことですが。やはり身体性に頼っていないで、拡張機能としての機械や技術を利用しようということ。それらを利用することで、人間1人以上の力が発揮できるので、やはり時間にレバレッジをかけられる。
このように、時間にレバレッジをかけることで、成果を高め、生産性を向上する。生産性が向上すると、今までできたことが短時間でできるので、新しい時間が生まれる。そうして新しく生まれた時間を利用して、、という好循環を生んでいけるのだ。
ここから先はわざわざ書く必要のないことかもしれませんが。一応まだ社会に出ていない大学生をターゲットにこのブログは書いているので、念のため書いておきます。
自分の働き方や仕事時間のことを振り返ってみて、毎日同じことをしてることに気がついたらそれを仕組み化できないか?と考えてみる。そうして簡単でいいので仕組みを構築してみる。それだけでも、今日から永遠に時間を短縮できる。
その他にも、自分でない人の方が得意でできることはその人に任せてしまう。なんなら機械ができることは機械に任せてしまう。
仕事の種類にもよりますが、ルーティンに無駄はないか?導線に無駄はないか?すでに構築されている仕組みに無駄はないか?もしくは改善できる技術は現れてないか?そんなことを考えて調べて、環境を変えるだけでも、時間の短縮になる。
これは何も仕事のみに限らず、学業に専念している学生さんにも言えることで。
例えば勉強方法や勉強環境は最適化されているか?クラブスポーツなどをやっている人々は環境やルーティンが最適化されているか?
そうしたことをちょっと考えて改善するだけでも新しい時間が作れて、その時間を勉強や練習時間に充てることができるようになって、たとえそれが小さな時間であっても時間の利子が生まれ、時間が時間を生み、ひいてはいい結果が得られる確率が上がる。
お金の問題はどうしようもないかもしれませんが、時間の問題は解決できる可能性がある。そういう点で時間は万民に平等に与えられています。
最新技術をどんどん利用して、時間を短縮して、時間にレバレッジをかけることで、生産性を向上させて、新しい時間を創出しよう。
って話でした!
と言うよりも、この「道具」こそが「技術」であり、人類の能力を拡張させその他の動物と人類とをはっきりと分け隔てたもの