こんにちは!トモです。
このブログは主に、人生の黄金時間に当たる大学生活を送られている方に向けて、自分自身が大学生の時に知っていたら嬉しかったな的な知識を発信しています。
3年半バックパッカーで世界を旅した経験と今まで3千冊以上の本を読んで学んだことをベースに記事を書いています。
今日のテーマは時間についてです。
最近(でもないのかな?)「タイパ」という単語をよく聞きます。タイムパフォーマンスの略で、直訳すると「時間対効果」。
昔からよくコスパ(コストパフォーマンス)という言葉は使われてきましたが、時代は移り変わり現在はコスパよりもタイパが重視される時代。
タイパとはつまり、どれだけ時間を充実させて使うことができたか。
現代のタイパ的な考えでいくと、同じ1時間の間にどれだけ多くの情報を消費できたか、獲得できたかがタイパの良さに繋がるのだと思います。
今日はこの新しく生まれてきたタイパという概念に注目して記事を書きたいと思います。
時間の速度は常に加速している
まずタイパについて考える前に、僕たちが日頃接している時間について考えたいと思います。
僕はブログの中でもよく言っているのですが、時間はずっと加速し続けていると考えています。
時間が加速しているというのはどういうことかというと、300年前の人が体感する1時間と、現代人が体感する1時間の体感速度が速くなっているということです。
詳細は上の記事に書いているのでここでは割愛させていただきますが。
時間の流れる(感じる)速度が速くなっているということは、時間の価値が高まっているといえると思います。
昔1時間では少しのことしかできなかったのに対して、現代では1時間あればすごくたくさんのことができる、生み出せるようになりました。ということは1時間の価値は確実に上がっているといえると思います。
時間が加速して、時間の価値が上がっている。
これがまず現代の時間について考えるときに大切になってくる前提となります。
情報過多と創造から消費へ
現代を言い表す特徴の一つとして「情報過多」が挙げられると思います。
300年前、江戸時代に生きた人が一生かかって得られた情報量が、現代ではたったの1日で得られるようになったといいます。
現代はコンテンツがあり溢れ過ぎているのです。
人々はその溢れる情報の取得やコンテンツの消費に忙しくなり、時間を使って何かを創造することよりも、時間を消費することに偏り過ぎていると思います。
時間の使い方が創造から圧倒的に消費に移っているというのがここでのポイントになります。
時間を支払う
時間は加速し続け、その価値が上がる一方で、その貴重な時間の使い方が創造(という投資)ではなく消費(という浪費)に充てられている。
この現代と時間の付き合い方から察するに、人々は知らない間に時間に対して「時間を支払う」という概念が生まれてきつつあるのだと思います。
あることをするのにかかる時間を計算して、それは本当にその時間を支払うだけの価値があるのか、ということを知らず知らずのうちに頭で計算をして、取捨選択をしているのだと思います。
そうしなければ、この情報過多な世の中で、全ての情報やコンテンツを消費することは不可能だからです。
コンテンツのショート化は当たり前
現在、あらゆるコンテンツがショート化されていますが、これまでの現代人と時間の性質を考えればこれはごくごく自然な流れなのだといえると思います。
まず第一に書籍の売上が下がり、書店が全国から減っているというニュースをよく耳にします。
人々が本を読まなくなったと。これは多分そうなのだと僕も思います。
際たる理由は多分、書籍以外にテキストコンテンツを取得できる場所が増えたから。
しかし、それ以上にテキストコンテンツはそれを消費するのに相当時間と労力を使います。その時間を支払うよりももっと短時間に要点だけサクッと受け取りたい。それが現代人の考え方なのだと思う。
だから、時間のかかる書籍は敬遠されて、もっとサクッと情報を取得できるネットニュースなどが好まれるようになった。
これがタイパです。いかに短い時間を支払って同質の情報をゲットできるか。
だからテキストコンテンツは書籍→ネット→ツイートのようにショート化が進んでいます。
さらにテキストよりも写真(インスタグラム)、写真よりも動画(Youtube)、動画もショート化(tik tok)と、これはわざわざ僕が説明することでもないですが、いかに短い時間で多くの情報量を取得できるかという流れからきているのかと思います。
人生の三大コンテンツをどう考えるか
人生における重要な三大コンテンツといえば、勉強、読書、旅行、ですよね。
いや、知らん。笑
これは僕が勝手にそう考えているってだけの話なのですが。
でもこの3つはどれも時間が長時間必要で、かつ人生の幅を広げてくれるものなので、あながち馬鹿にできないと僕は考えています。
そんな三大コンテンツにも時間加速の波は訪れているわけで。。
読書
読書に関しては先ほども書いたように、現代人の活字離れがすごく、ビジネス書に関しては、十分で要約みたいなアプリや動画が溢れていますよね。
正直僕も結構利用しています。。
そもそも、そもそも書籍の成り立ちを考えると。
世の中に大切なことってそんなに多くなくて、そのどれもエッセンスにまとめられると思います。しかしそうすると、A4用紙1枚でよくなり、その情報は「販売」に不向きだったのと、簡単に盗用できるということで、いらない部分を肉付けして分厚さを出して、書店に並べて置ける「書籍」が発明されたのだと思います。
そういう意味では書籍のエッセンスだけ抽出するというのは別に間違っているわけではなく、本来の情報の扱い方でもあるのかとも思うのですが。
しかし本好きの端くれからものを言わせて貰えば、ある書籍を考えた場合、エッセンスに辿り着くまでの著者の思考の流れや考えがあり、それを追随することでエッセンスが腹落ちするというのもあります。
たとえばダイエットにおいて、「これを食べなさい。これを食べてはいけません」というエッセンス(答え)だけ抜き出して、それを実践しようとしても、頭で理解していないと、なんでダメなんだろう?と疑問に思い、実践できないかもしれません。
そういう意味では、やはり肉付け部分であったとしても体系的に知識を吸収するという意味において、書籍という形は結構重要なのかと僕は考えています。
勉強
勉強においても最近ではAIを活用した個別最適化教育による勉強の加速化が進んでいます。
ちなみに僕はAIを使った個別最適化教育には賛成派で、色々と記事も書いてます。笑
なのでこの部分の時間の加速、タイパを中心とした教育に関しては、、異論はない。笑
旅行
さて、僕が実は本日の第二のテーマにしたかった部分が実はここなんです。
僕自身、3年半という長い年月をかけて世界中をバックパッカーで旅した経験を持っています。
その旅が自分の人生に大きな影響を与えたことは間違いなく、これから死ぬまで与えるであろうことも実感しています。
ただ、勉強や読書といった実学、実用性のあるものに比べると、旅行はどちらかというとレジャー的要素が強く、余暇の過ごし方という認識にあるかと思います。
つまり、時間とお金に余裕がある人のための娯楽的な考え。
でも、僕はそう考えておらず、旅行や旅も立派な実学であり、人生において重要な学問とまではいえなくても経験だと考えています。
僕達人類は地球の上で一緒に生活をしている仲間であるにも関わらず、しかし違った言語や風習、文化などを持っている。だからこそ価値観や考え方が合わない時に喧嘩したり戦争したりもする。
こういったことは自分の国から出ずに、そういった世界とそこに暮らす人々と触れ合うことをせずに、教科書だけを読んで頭で理解しようとしても難しいと思います。
実際に自分の足で現地に赴き、自分の目で見て、耳で聞いて、口で食して、鼻で匂って、肌で感じる。そうした体験をして初めて理解できることがある。
だから僕は旅行や旅は若い時間のあるうちに経験して欲しいと考えています。
もしここにもタイパとショートの波が押し寄せてきて、『5分で体験アメリカ大自然ツアー!』みたいなコンテンツが生まれたらと考えると悲しくなります。笑
また時間が加速していて、時間当たりの価値が上がっているからこそ、そうした時間を悠然と使い、旅に出るということは、極上な時間の使い方でもあるんじゃないかと思います。
一度パソコンやスマホを机に置いて、窓際に座ってゆっくり空でも眺めて過ごしてみてください。
贅沢極まりないです。忙しない現代人であれば「こんなことしてていいのかな」と思うと思います。
僕も旅中何度となく「こんなことしてていいのかな」と思いました。笑
しかし人生は一度きりです。今となってはあの極上な時間の使い方をできたことに感謝しています。
まとめ
- 時間が加速して、時間の価値が上がっている
- 時間の使い方が創造から圧倒的に消費に移っている
- 時間を支払うという概念が生まれ、そこからタイパが生まれた
- 読書、勉強、旅行とタイパの関係性は一度考えた方がいい
- 読書は少ない本でいいからしっかりと読もう
- 勉強はAIを使った個別最適化で問題なし
- 旅行こそ、自分の体を使ってやってほしい。それこそが極上な時間の使い方