皆んな自分の中の正義と信念で生きている

人生論

こんにちは!トモです。

今、勝手に書評週間やってて、書評を1週間あげてみようチャレンジしてるんですが。笑

最近思ってることを書きたくて、書く。笑

世の中、なんで喧嘩とか、果ては戦争があるんだろうってよく考える。

そして出た結論は、みんな、それぞれが自分の正義とか信念を持っていて、それを正しいと感じて生きている。だから、自分の正義や信念と反するものに出会すと、相手が間違ってると信じ、潰そうとする。それが対立であり、喧嘩であり、争いであり、戦争をうむ。

いきなり真面目なこと書き出しました。笑

最初は宗教戦争などでそう感じました。

※宗教戦争が必ずしも宗教対立のみで勃発している訳ではないですが。

それぞれが自分の信仰する宗教を信じて生きればいい。

なのに、他宗教とか他の宗派を弾圧しようとする。

なんで?

どの宗教も決まって「自分がされて嫌なことは相手にしない」と教えてると思う。

なのに、戦争。もう、そこがよくわからない。

自分たちのコミュニティは自分たちのコミュニティだけでやっていけば良い。

自分は自分、他人は他人。でいいじゃんって。

自分は自分の好きな宗教を信じて良いのに、他人はダメなの?って思う。

それは、例えばカラオケに行って、自分はこの歌うたうけど、あなたはダメみたいな。

この世に誰一人として、相手をコントロールできる人も、して良い人もいない。

でも相手が間違えてる(って思ってる)のにコントロールできないから力で支配しようとしたり、弾圧しようとしたりするのかな。って最近思ってきた。

自分だけは正しい。自分の信念こそ正義。

「自分は正しい」

結局人の考えってこれに尽きるんだと思う。

どんなことしても、自分の考えが合ってる、自分の信念こそ正しい、自分のやってることが正義なんだって人は考えてるんだと思う。

だから、自分=正解、自分と違う考え=間違い。

で、間違いを放っておけないんだろう。(上で書いたこととほぼ一緒のこと言ってる笑)

相手のことを正そうとしなくていい

でも2つの観点から、僕は他人を正す必要はないって思ってる。

1つは、他人はコントロールできないものだと考えていること。

もう1つは、結局何が正解かは誰にもわからないということ。

他人はコントロールできない

自分がコントロールできないものに執着しても労力の無駄だと思っている。

例えば、なんで自分はこの家に生まれたんだろうとか、男なんだろうとか、日本人なんだろうとか、この才能がないんだろうとか。なんで今日雨なんだよとか。笑

努力して変わるならいいけど。努力が及ばない、自分がコントロールできないことに執着するのは時間も労力も無駄じゃないですか?

そして、自分のコントロールできないものに、他人の思想や行動がある。

他人を動かすことは可能。例えばマザーテレサの活動に心を打たれてインドにボランティアに行く人が毎年何万人といる。これは完全にマザーテレサが人の心を動かしたって僕はそう考える。

でも、ここでいう「他人をコントロール」は別の話。

コントロールということは「自分の思う通りに」相手を動かすこと。

これは、恐怖で支配する以外できない。

まあ、だから争って勝って支配してコントロールしようとするんだろうね。

でも、友達同士でそんなことしてなんの得があるんだろう?

だから、基本的に自分は自分で好きに生きてるんだから、他人は他人の自由があるって僕はそう思ってる。

そして、それを自分の思い通りにコントロールはできないんだから、そこを変えさせようとするのは無駄。

何が正解かは誰にもわからない

なぜ、自分が正しいと言い切れるのか。

もちろん自然科学的な、絶対答えのあるものなら別だけど。

それこそ、5+3=8みたいな。これは8が正解。

でも社会科学的な問題に対して、何が正しくて、何が答えなのかは誰にもわからない。

わからない中で皆んな最適解だと思うものを探して、そうして行動している。

例えば、資本主義。資本主義は経済格差を生んで、それが人々の心に嫉妬や妬みを生んで、その力が犯罪を生む。

決して最高の正しい答えではない。完璧ではない。

でも、社会主義よりはマシだから、そして今資本主義よりも最適な答えが見つかってないから、皆んな資本主義で生きている。

ここで、資本主義が正解だー!っつってても。もしかしたら数年後にAIとか機械が超絶進化して、ベーシックインカムと労働の最適解が見つかって、人々が幸せに生きていける答えが見つかるかもしれない。

そうなったら、資本主義が正解だー!って言ってた人は間違いになる。

結局人々は今、この瞬間、自分の持ち得る全ての情報を自分の頭で咀嚼して、出した「これが最適解だろう」ってものを「正解」として、そこに自分の信念や正義を作っているだけに過ぎない。

でもそれはいつどこでどう変化するとも限らない。

本当は自分が間違っていて相手が正しいことがある。

誰しも自分が間違っていて相手が正しいとは思いたくない。自分の非は認めたくないもの。

でも「自分が正しい」で盲目に生きていることは危険でもある。

だって、自分が間違ったことをしていても気づかないから。

だから、心か頭のどこかに「もしかしたら相手が正しいことを言ってて、自分が誤ってる可能性はないか」を持っていないといけない。

自分だけが持ってても、、、。できれば人々全員がそういうマインドを持ってたら、もう少し世界は平和になるのかなって。そう思いました。

最後の締めくくりが。笑

って話でした!