こんにちは!トモです。
このブログは主に、人生の黄金時間に当たる大学生活を送られている方に向けて、自分自身が大学生の時に知っていたら嬉しかったな的な知識を発信しています。
3年半バックパッカーで世界を旅した経験と今まで3千冊以上の本を読んで学んだことをベースに記事を書いています。
今日は僕が世界旅で経験してきた数々のピンチを思い出してまとめてみました。
ようやく海外旅行が戻りつつあり、人々が国を行き交うようになりましたね。
日本人にとっては諸外国のインフレと円安がきいてなかなか行きたい意欲は湧かないかもしれませんが。
それでも、これから徐々にコロナが回復していけば、また海外旅行や旅のスタイルで日本を出る人も増えると思い。
また旅に関する発信も増やしていきたいなと考えました。
そこで、僕はおおむね旅は大賛成、というか人生においての必須科目とも言えるくらいに考えていますが。
決して良いことばかりが起こるとは限らないので、今日は旅で起きたピンチについて共有することで、
これから旅に出る方の小さな注意喚起になれば嬉しいなと思います。
だからと言ってここに書くことを重く受け止めて、やっぱり海外は怖いからやめようみたいな風には考えないで欲しいと思います。
それでは、ピンチレベル順に発表!
タイ:野犬に追いかけられた ピンチレベル★
日本で生活していると野犬ってそもそも見かけないですよね。
しかし海外には結構たくさんいます。特に東南アジア。
結構おとなしい犬が多いですが、中には吠えてきたり、噛み付いてくるものもいます。
そして海外の野犬はなんと言っても狂犬病を持っている可能性があるので、、怖い。
もちろん出国前に狂犬病の予防接種をすることをお勧めします。
世界を旅して3回くらい野犬に追いかけられたことがあるのですが。
初めて経験したのがタイのチェンライ(チェンマイの更に北の町)。
普通に街中を歩いていると、大きな金網で区切られている地区を発見しました。
後から思えばあそこは一種のスラムのような場所だったように思います。
そして、その金網の向こう側から吠えてくる野犬が3匹。
僕は金網越しだったので平気だと考えていると、何やら金網越しに走っていく野犬達。
どうしたのかなと思って様子を見ていると、なんと金網に空いた穴なのか通路からこちら側の道に出てきて、
一目散に僕めがけて走って追いかけてきたんです。
「あ、普通に襲われるやつだ」と直感で感じました。
僕は走って逃げましたが、もちろん犬の方が速く、すぐに追いつかれてしまいました。
もうダメだと考えて僕は立ち止まりざまに振り返って、
被っていた帽子を掴んで振り払うようにして犬めがけてはたきました。
当たりはしませんでしたが、それにビビったのか犬達は立ち止まり。
僕はそのまま後ろ向きになって犬の様子を伺いながら後退り。
幸い再び追いかけてくることはなかったですが。
インド:空港を間違えた ピンチレベル★
インドからネパールへ飛行機で移動する際のことです。
ムンバイ→デリー→カトマンズの移動でした。
僕は時間に余裕を持ってムンバイ空港に到着して、エントランスでチケットを見せて中に入ろうとするも、
ドアマンになぜか断られ。
何度挑戦しても断られるのでなぜだと尋ねると、彼はチケットと空港を指差してこう言いました。
「ここは国際空港だ。君はムンバイからデリーに向かうのだから、国内空港に行かねばならない」と。
いやー、頭の中では今からネパール(国外)に行くとばっかり考えていたので、
一旦トランジットでデリーを挟むことをすっかり忘れていました。
というより、わかっていたけど、それでも国際空港だろうと勝手に考えていたんです。
ムンバイの国際空港か国内空港への移動はタクシーで数十分。
普段から超がつくほど余裕を持って行動する派の僕だったので、そこから国内空港に移動しても、
チェックインには間に合ったので助かりましたが。
危うく乗り過ごすと、チケット代を無駄にし、全ての旅程を考え直す羽目になったので、よかったです。
時間に余裕を持って行動することも利が得られた瞬間でした。
メキシコ:スマホを海にダイブ ピンチレベル★★
これはメキシコのカンクンという世界屈指のビーチリゾートに滞在していた時の話です。
カンクンからイスラムヘーレスと呼ばれる島にフェリーで遊びにいきました。
フェリーというか現地民が乗る大型貨物線?のようなものだったのですが。
島に着く直前に嵐に見舞われて、大雨が降ってきました。
そして、島に到着して船の階段を降りている時、階段で足を滑らせて豪快に下まで滑り落ちました。
その大ゴケした瞬間い、僕のパーカーに入れていたスマホは反動でポケットから飛び出し、
放物線を描いて海の中にダイブ。。。
(だったのかどうか実際には目にしてないのですが。笑)
とにかく島に到着と同時に僕はスマホを失いました。
本来数泊を予定していたところ1泊だけして、翌日再びカンクンの宿に戻りました。
スマホを失ったことで、旅で撮り溜めていたスマホで撮った写真は全て失いました。
が、もしあの時スマホでなく財布やパスポートを失ったらどうなっていただろうと思うと、
スマホでよかったのかな?でも写真を失ったのは悲しいですが。
グアテマラ:財布を盗まれた ピンチレベル★★
グアテマラにケツァルテナンゴ、通称シェラと呼ばれる場所があります。
そこには有名なタカハウスという日本人宿もあるのですが。
僕はその日、ローカルのバンに乗って買い物のために少し遠出をしていました。
バンはいつもパンパンで、僕は立って乗っていたのですが。
途中、現地の男性がここに座っていいよと言って僕を呼んでくれました。
僕は手招きされるままにそちらに移動して、小さなスペースに座り込もうとしたのですが、
人がぎゅうぎゅうだったこともあり、なかなかうまく座れず。
そしてようやく座れたと思ったところで、僕のカーゴパンツのポケットが開いていることに気がつきました。
中に入れていたシークレット財布は姿がなく。
多分、僕を側に読んでくれた男性が犯人なんだろうとは思ったのですが、どうすることもできませんでした。
そして、全くの一文無しになってしまい。降りる運賃すら払えなくなりました。
しかし、ローカルバンで乗っている人は全て現地人だった中に、唯一一人だけバンの助手席にヨーロピアンの女性が座っていました。
彼女に事情を話して、バンの料金(15円ほど)を支払ってもらい、更に15円ほど帰りのバン代をもらうことができました。
それでも、帰りは普段乗り降りしている場所まで行くことができず、だいぶ手前で降りなければならなかったので、そこからは無一文のままひたすら歩いて宿を目指して帰りました。
まだ歩いて帰れる距離だったから良かったですが、これがもっと別の場所だったらどうなっていたかと考えると、、
ちなみにまた別の日には同じシェラを走るローカルバスでタブレットをいかれました。笑
もう、7インチのタブレットを魔法のようにスリを働く彼らはまさにプロです。
アメリカ:熱中症 ピンチレベル★★★
アメリカのグランドサークルはご存知でしょうか?
グランドキャニオンをはじめとするラスベガス周辺にたくさんある国立公園を回るルートのことをそう呼びます。
僕は旅仲間と2人でカローラをレンタカーしてグランドサークル巡りをしました。
実施したのは8月。真夏の砂漠地方であるラスベガスは暑すぎて、、
アーチーズキャニオンを回っている最中に僕はとうとう気分が悪くなり、車を運転できるような体調ではなくなってしまいました。
一緒に回っていた友人が代わりに運転をしてくれることになり、夕方頃になって外気が涼しくなると次第に体調は戻りましたが。
旅中は、熱中症、脱水症状になってしまうと、立っていられなくなるし、日本のように簡単にポカリスエットのようなドリンクも手に入らないので大変です。
※番外編として、このグランドサークル巡りの最中、大濃霧からの大豪雨、土砂崩れ、無限雷に見舞われた挙句のはてにタイヤがパンクするといった事件もありました。
スペアタイアがあったので乗り切れましたが、これもなかなかなピンチ体験でした。笑
ネパール:大地震 ピンチレベル★★★
2015年5月ネパールのカトマンズで大地震がありました。
実はその日、僕はちょうどカトマンズのゲストハウスに滞在している時でした。
地震に慣れていた日本人の僕でさえ、カトマンズ地震は死を意識した程でした。
というのも、日本は耐震構造のある建物なので、揺れが大きくても「安心感」が感じられる。
しかし、ネパールは耐震構造など全くない建物なので、横揺れが尋常じゃなく、
このまま崩れて家が崩壊すると感じたほどでした。
そして地震が起きた日からカトマンズ中で人が消えました。
ほとんど地震を経験したことのないネパール人は家にいるのを恐れて公園などで生活を始め、
また旅行でネパールを訪れていた観光客も皆、公園に移ってテントなどを張って生活していました。
カトマンズの中心に残ったのは数人のネパール人と日本人旅行者のみになりました。
幸い、宿には備蓄していた食料があり、それを食い繋いで生きていけました。
また電気水道は止まったものの、お風呂は我慢して、太陽が沈めば寝るという生活をすれば、
生きていくには困りませんでした。
5日ほどすると電気、水道と順に回復。(ガスはプロパンだったため使用できた)
徐々に人びとも町に戻ってきて、普段の生活を取り戻しました。
飛行機が飛ばなくなったり、バスでの移動ができなくなったりで、そこら辺は困りましたが、
それでもそれも数日すれば徐々に回復していきました。
まさか日本で震災にあったことがなかったけど、海外で遭うとは思いもしませんでした。
とにかく、あれほど恐怖心を抱いた経験は人生でこの時がマックスだったかもしれません。
イラン:極限の体調不良 ピンチレベル★★★★
イランのシーラーズを訪れた時のことです。
インドからドバイ、イランとトランジットを繰り返して約2日かけてイランに入りました。
また、ドバイもイランもちょうどラマダンをやっていて、ろくにご飯が食べれず。
空港のジャンクフードを食い繋いでなんとかって状態でした。
そしてイランは灼熱の炎天下。
とにかく宿を見つけてチェックインするも、シングルルームと聞いた部屋は後からわかったことですが、
イスラム教国にはよくあるプレイルーム(お祈りをする場所)を案内され、
1畳もない部屋にマットが敷かれただけのお部屋でした。
まあ、別に寝れればどこでもいいので狭さには特に文句もなかったのですが。
この部屋が屋上に隣接していて(多分後から増設した簡易な作り)、窓もなく、
日中は容赦なく照りつける日差しが室内を40度以上にも熱する暑さで。。
僕はチェックインして少し部屋で昼寝をした後、バスターミナルにバスチケットを買いに行ったのですが。
宿を出たあたりから何だか体調がすぐれないなとは感じていたのですが。
どうにかバスターミナルに到着して、チケットを買ってさあ帰ろうとした時、
外を歩いていると次第に目の前がチカチカとしてきて、気分が悪くなり、
足にも力が入らなくなってしまいには道端にそのまま倒れてしまいました。
ゆっくりと倒れながら、大勢のイランの男性が近寄ってくるのは目で確認できました。
異国で異邦人が気絶していれば、それは格好のカモ。
ああ、みぐるみを剥がされるか、どこかに連れ去られるのかななどと考えながら、
一瞬気絶して、10秒ほどすると次第に意識は回復してきました。
気づくと周囲は男どもに囲まれて、みんなに見下ろされる形になっていました。
財布、携帯、良かった、まだ取られていないようだ。
もちろん善良な市民かもしれないのに疑ってかかるのは悪いのですが、
海外はまずなんでも疑ってかからないと危ないと考えていたのと、彼らが心配そうな目つきで僕を見るというよりは、ニヤニヤしながら獲物を見るような目つきで僕を見下していたので、少し心配になったのです。
するとそこに、1人の女性が近づいてきて、膝まづいて僕と目線を合わせると、
意識はあるか、話せるか、何があったのか、大丈夫かと色々と心配して声をかけてくれました。
この男たちの中に悠然と入ってきて、僕1人を真っ直ぐ見て心配してくれるなんて、とても勇敢な女性に見えました。
どこかまで一緒に行こうかと言ってくれましたが、さすがにこちらも男だったので「大丈夫」と答えると、彼女は優しい笑顔を見せてからその場を去っていきました。
男どもが何だか嘲笑と悪ふざけのような声をかけていたのを、女性は毅然とした態度で無視をしていて、とてもかっこ良く見えました。
女性が立ち去ると、男性たちも散り散りにどこかへ行ってくれ、僕はタクシーでなんとか宿に戻ることは出来ました。
しかし、この灼熱の部屋では寝ることもままならず、体調不良に脱水症状が追い打ちをかけるような状態となり。
翌日、とても高かったけど僕はエアコンのついているツインルームに部屋を移すことにして、そこで2日ほど寝込めば体調も無事回復してくれました。
正直、海外で一人ぼっちで体調を崩すと、全て自力で解決しなければならないので、非常に心細くなります。
しかし、そういう経験を経たからこそ、ちょっとやそっとではへこたれない強い心も手に入ったのだと思います。
インド:バックパックを盗まれる ピンチレベル★★★★
インドのバラナシというヒンドゥー教の聖地とも呼ばれる町で僕はバックパックを失いました。
旅に出てまだ四ヶ月目だった時です。
その日は深夜の3時頃に夜行列車で駅に到着し、町に出るには早すぎたので駅構内で野宿をしてました。
近くの鉄格子にバックパックをチェーンでくくりつけ、そのそばで床に新聞紙を敷いて寝ました。
夜中でも大勢の人々が行き交うインドの駅なら、危ないことは起きないだろうと考えてそのようにしました。
そして、朝の7時頃、町に出る準備をしようとしたところ、バックパックが盗まれている事に気がついたのです。
70リットルのメインのバックパック。洋服や薬、寝袋、ありとあらゆる物が無くなりました。
※幸い、お金、カード、パスポートなどの貴重品はシークレット財布でお腹に巻いていたので無事。またサブバックを枕代わりにしていたので、そこに入れていた少しの荷物だけ助かりましたが。
僕は旅に出る前、ロストバゲッジしたら帰国すると言ってました。荷物がない旅なんて考えられなかったからです。
しかし、旅に四ヶ月身をおいてみると、そういう考えも少し変わっていて、僕はバックパックがなくなっているのを見て笑ってしまいました。
それから警察に行き、ポリスレポートを貰えば保険はおります(帰国した後)。
一度宿にチェックインして、全部の荷物を確認し、何が必要か考えて買い出しに町に出かけました。
すぐに買ったのはバスタオル、靴下、下着、そして鎖と南京錠。
もう、70リットル満帆の物資は必要ないと考え、本当に必要な最小限の物だけを買うことにしました。
それから僕は20リットルのリュックサッカーに転身するのですが、これが実に身軽で身も心も軽くなり。
ああ、これこそ本当の旅だなと感じることができたので、結果オーライ。笑
今でも旅に出る時は最小限の荷物だけと心がけています。
チリ:強盗に追いかけられる ピンチレベル★★★★★
チリのカラマという町からボリビアのウユニまでバスで移動しようとした時です。
なぜかバスは1日に一便だけ、早朝の5時発のものしかなく、仕方なくそのチケットを買ったのですが。
宿のお母さんに明日早朝にチェックアウトしていいかと聞くと、いいけど朝は非常に危ないわよと注意され、
少しビビりました。笑
翌朝5時、思っていた以上にあたりは真っ暗で、こんな中を1人で歩いていくのは嫌だなあと感じていました。
しかしチケットを買ってしまっているので仕方なく僕は宿を出て歩き始めます。
もう、あちこちで野犬が吠え回り、時には僕のそばを争いながら数頭の野犬が駆け抜けていく。
嫌だな〜と感じながら歩いていると、道の先に数人の男がいるのが見えました。
こんな夜中に何をしているんだろう?
よく見るとお酒を飲んでいるようで、笑ったりふざけあったりしているようでした。
僕は道の左側を歩いていたのを、反対車線に移り、右側を歩くことにしました。
そしてなるべく気配を消して彼らのそばを通り抜けようとしたのですが、
やはり距離が近くなったところで、彼らの中の1人が僕の方に近づいてきて、何か声をかけてきました。
僕は無視をしてそのまま真っ直ぐ歩き、彼らのグループを追い抜かすと、
後で何やら足音が近づいてくるのが聞こえるので、そっと後ろを確認すると、
全員で僕のあとを追ってきていました。
やばいなと思い、僕は歩くスピードを上げる。すると、彼らは少し怒鳴る感じで僕に何かを叫ぶ。
彼らも少し小走りに追いかけてくるので、僕はバックパックを抱えたまま全力疾走しました。
二ブロック先を左に曲がれば目的のバス停。
全力で駆け抜け、曲がり角を曲がり、さらに二ブロックほど走り抜けると、先の方にバス停と人々の姿を確認できました。
そこでようやくホッとして後を確認すると、彼らはそこまで追いかけてきていましたが、バス停と人々の存在を確認して、それ以上僕を追いかけることを辞めて帰っていきました。
朝から全力で走ったことで鼓動がバクバクしていましたが、バスに乗り込んだ後もしばらく動悸は止まりませんでした。
バスの中の灯りと暖かい空気、周りに人々がいる状況に安堵した時、先ほどの思い出が恐怖に変わってようやく襲いかかってきました。
捕まっていたらどうなっていたんだろう。そう考えると、しばらくの間は緊張の糸が解けることはありませんでした。
マジで怖かった。笑
インド:デング熱 ピンチレベル★★★★★
ノミネートされすぎなインド。笑
トータル八ヶ月も滞在していたので、そりゃ色々ありますよね。
デング熱って日本だとあまり聞きなれない病気ですが、マラリアと同じように蚊を媒体にしてかかる伝染病。
僕はジャイプルを旅していた時にたくさん蚊に刺されたので、そこで罹ったのだと思います。
そしてデリーに移動した日からすごく体調が悪くなり、、
デリーには3日滞在していたのですが、3日間寝込んでました。
毎日ロキソニンを飲むと少しはよくなるのですが、効き目がなくなってくると倦怠感や吐き気、頭痛が襲ってきて。
しかし僕はインドから日本経由で南米に向かう予定だったので、ここで旅を中断することができず。
とにかく気合と根性だけで日本まで帰国しました。
なんとか東京の家に帰ってきて、その日はすぐにベットに入ったのですが。
人生史上最高の頭痛に襲われて、初めて一睡もできない夜を経験しました。
死んだ方がマシじゃないかというくらい、カチ割られそうな頭痛の痛み。
壮絶な痛みに悶え苦しみ、体力もそこを尽き、疲労困憊で迎えた朝。
熱を測ってみると40度超えてました。。笑
もう歩く気力もなかったので救急車をよんで病院へ。
で、診断結果がデング熱。。即刻入院となりました。
それから約10日間ずっと40度の熱が続き、食欲もなく1日に食べられるのは親指大のご飯だけ。
そして後はひたすら点滴。
この時もまた「ああ、このまま死んじゃうのかな」ってくらい体力が日に日に奪われていくのを感じました。
先に書いたネパール大地震とインドのデング熱。この二つは本当に「死」を意識した経験です。
そして10日目をすぎたあたりから熱は下がり、ご飯を食べられる量も増えていき、なんとか回復。
退院して家に戻るとげっそりと痩せていて、体重は55キロまで落ちていました。。
♢♢♢
さて、これが僕が旅で経験した思い出のピンチになります。
もしかしたら忘れているだけで他にもいっぱいあるかもですが。
でも、これは決して旅は怖いってことを伝えたい訳ではないし、旅で経験したピンチ自慢をしたい訳でもなく。
これから海外に行かれる人に、こんなことも起きるかもしれないから気をつけてね、とちょっとした忠告?ができればと思い書きました。
特に日本は本当に本当に非常に安全な国なので、その常識を抱えて世界に行ってしまうと、色々と痛い目に会ってしまいます。
なので、世界は危険なところなんだってことをあらかじめ認知しておくことで対策もできるかなと。
しかしこれだけの経験をしてもなお僕が海外を旅することをお勧めするのは、旅はそれ以上にも増して、ポジティブな経験をさせてくれたからだと思います。
できればこういった経験は少なく、楽しい、ポジティブな思い出がたくさん残る旅をみなさんにはして欲しいと思います。
一生心に残る旅を。