成功と幸福について勝手に哲学してみた

夢・目標

こんにちは!トモです。

このブログは主に、人生の黄金時間に当たる大学生活を送られている方に向けて、自分自身が大学生の時に知っていたら嬉しかったな的な知識を発信しています。

3年半バックパッカーで世界を旅した経験と今まで3千冊以上の本を読んで学んだことをベースに記事を書いています。

これまでたくさんの「幸福」に関する記事を書いてきました。

なんとなくそれらを読み返しているうちに、「幸福」と「成功」って何が違うのかとか、どっちを手に入れるべきなのかとか、そんなことを沸々と考える時間が生まれ、なんとなく自分なりに形づいてきたので一旦途中経過でここに書きたいと思います。




まず初めに言葉あり

今日のテーマに入る前に非常に重要な前提を確認しておきたいと思い、まずはここから始めさせていただきます。

僕達が何かを頭の中で考えたり思考するとき、必ず「言葉」を使いますよね。

言葉はこの世の森羅万象にレッテルを貼っている道具であり、それを使うことで世の中のありとあらゆる具体的・抽象的な事象や概念を客観的に手触り感を持って扱うことができる

言葉はこの複雑な世の中を捉える上で非常に便利な道具である。何よりも自分の頭の中で処理した情報や概念を他者とも言葉を使うことで同期・共有できるという意味で非常に便利だ。

しかしその一方で、言葉は完璧ではないという問題がある。

いつの間にか言葉でこの世の全てを表現できる、言葉さえ通じれば心から通じ合えると人類は思い込んでいるけど、そうではないのが実態であり、だからこそ諍いや喧嘩が生まれてしまうのもお互いの考えや主義主張を上手に言葉を使って交換することができないからだと僕は思っています。

言葉と実際の概念にはギャップが存在する。今日のテーマでいえば、たとえば何を持って成功と呼ぶのか。何をもって幸せと呼ぶのか。もちろん成功も幸福も人それぞれ違う。

しかしその前にだ。

僕達はこの抽象的な概念である「幸福」について果たして何に対して「幸福」というレッテルを貼ったのだろう。また「成功」に関しても、この言葉ができたとき、果たして人類は何、どういったことに対してそれを「成功」と呼ぶことにしようと合意したのだろうか。

もちろん辞書を引けば成功や幸福に対しての一定の定義は定められている。しかし果たして万人がその定義に納得しているのだろうか。

僕達はそれがそもそもわかっていない、理解できていない。その前提で曖昧な言葉を使いながら世の中のことを見て考えている。言葉とはその程度のものなのだと僕は考えています。

石には石という言葉のレッテルが貼られている。これは非常にわかりやすい。石が目に見える物であるから。大概こちらが「石」と言えば相手にも大体自分が想像している「石」が伝わる。

しかしそれが一度、成功や幸福といった抽象的な実態のないものになると、レッテルこそ貼られているものの、扱いが難しくなる。つまり僕達がお互いにそれぞれの「成功」や「幸福」というオリジナルの概念を持ちながら話をする、または聞いてしまうことになるので、本当に伝えたいことを100%共有できるかどうかわからない。

前置きが長くなってしまいましたが、つまり言葉にはこうした罠が潜んでいるということを大前提として、今日は成功と幸福について話し始めたいと思います。




成功の定義

言葉というものは非常に曖昧なので、本題に入る前に成功と幸福のそれぞれの定義をしておきたいと思います。これは辞書を参考にしたものではなく、あくまで僕個人が考えるそれぞれの定義になります。

成功とは

僕が考える成功の定義がこちらになります。

成功とは自分軸で世の中を見た状態であり、自分が設定した夢や目標を達成すること。そしてその先にある自分が思い描く理想の自分像と現実の一致度

人は誰しも自分はこういう人間だ!という思いを持っている。(理想の自分像)

それがお金持ちなのか、スポーツ万能なのか、はたまた本をたくさん読む人間なのか、もしくは多言語が話せるのか、友達が多いのか、お酒が強いのか、多種多様だと思います。

そしてその自分が思い描く自分像こそが夢の状態であり、それに向かってクリアすべき課題が目標(目的)であり、それを達成していくプロセス1つ1つを成功と呼ぶのだと僕は思います。

成功にかかわる4つの要因

そして後で出てくる幸福と対比できるように、成功と幸福それぞれにかかわる4つの要因を書いてみました。それぞれについて説明していきたいと思います。

私的成功

「成功」の定義において僕は「成功とは自分軸」だと書きましたが、成功には自分が関わっていないと成功とは呼べないと考えています。

もちろん言葉では「他人が成功した」などといった表現はできますが。真の意味での「成功」を考えたとき、それは自分と関わっていることが大前提です。

他人がオリンピックで優勝したからといってそれが自分の成功になるでしょうか?

他人が試験に合格したからといってそれが自分の成功になるでしょうか?

それらは全て他人の成功であり、自分には全く関係のないことですよね。

つまり何を持って「成功」と考えるべきかというと、どこまでいってもそれが自分と関わりのある夢や目標を達成した時に初めて「成功」となるということです。そしてどこまでいっても自分と関わりがあるということは、「成功」は自分のコントロール内にある、自分の努力次第で掴めるものだということがわかります。

そうして自分で設定した目標を達成することで成功した状態を私的成功と呼びます。(7つの習慣から引用)

地位財

成功で手に入れられるものを考えた時、簡単に思いつくのは地位や富、名声といったわかりやすいものだと思います。これらは地位財と呼ばれているものです。また、この地位財をホルモンで表すとドーパミン的な状態、つまり手に入れると短期的に興奮できるもの、とも考えられるなと思い、この様に僕はまとめています。

幸福因子

幸福因子とは以前別の記事でも紹介しましたが、慶應義塾大学大学院教授の前野隆司先生が提唱している幸福にかかわる4つの因子のことを指しています。

【幸福】幸福学の授業まとめ

こちらの記事も幸福に関して非常にわかりやすく面白い内容が書かれているので、興味ある人は読んでみてください。

いま、あなたは幸せですか?「幸せの4つの因子」を知れば「幸福度」を上げられる/慶應義塾大学大学院教授・前野隆司

前野先生は幸福にかかわる因子として4つ挙げていますが、僕はそのうちの3つは実は成功に関わる因子なんじゃないかと考えています。

ここに書いた3つ「やってみよう(挑戦)」「なんとかなる(楽天)」「ありのまま(自分)」の因子はどれも自分軸に関わるからです。

まあ、そうやって考えていくと、成功と幸福というものは実は非常に近しい存在なんじゃないか。言葉で分かれているものの先にも書きましたが言葉とは非常に曖昧なものです。実際は成功も幸福も同じ概念の両側面を捉えたものなんじゃないかとも僕は思ったりしています。

人的資本・金融資産

ここの概念は橘玲さんの書かれた幸福の資本論から引用しています。

橘さんは人類の幸福は3つに集約されるといっており、その3つが人的資本、金融資産、社会的資本です。そのうちの2つ、人的資本と金融資産はどちらかというと自分軸に当てはまるなと考え、僕は成功の定義に盛り込みました。

自分の才能や能力を活かし、努力で自己実現をする人的資本と、自分の頭脳を使うことで経済的自立を獲得する金融資産はもちろん自分自身を幸福にもします。しかしそうして得られた地位や富、名声は地位財であり、ドーパミン的な短期間の幸福にしかなり得ない。

これらは人を幸福にするというよりはどちらかというと成功に導く要因としての要素の方が強いなと考えます。※後で書きますが、自己実現や経済的自立が絶対に自分を幸福に導くとは限らないが、成功には導く。




幸福の定義

これもまた非常に難しい概念というか、一人一人違うものになりますが、全ての人に共通して言える定義として僕は以下のように考えます。

幸福とは

僕が考える幸福の定義がこちらになります。

幸福とは世界軸(もしくは他人軸)で世の中を見た状態であり、自分が思い描く理想の世界像(世界観)と現実の一致度

人は誰しも世界はこういう場所だ!という思いを持っている。(理想の世界像)

それが世界平和な状態なのか、ベーシックインカムが達成された世の中なのか、みんな一所懸命働いているのか、共産主義なのか資本主義なのか、宗教的、政治的、多種多様だと思います。

そしてその自分が思い描く世界像と現実の世界がどれだけ一致しているかで人の幸福度が決まるのだと思います。

幸福にかかわる4つの要因

それでは成功についてまとめたのと同じように幸福にかかわる4つの要素についても説明していきたいと思います。

公的成功

ちょっと幸福について解説しているのに「成功」という文字が出てきてこんがらがりそうですが。7つの習慣の内容を引用して説明させてもらうと。

人の人生には私的成功と公的成功の2つのフェーズがある。まずは自分の能力を最大限に活用して私的成功をします。(これは上でも説明しましたね)そして人生は、自分が成功して終わりではなく、自分が成功したら次は周りを成功させる。これが公的成功のフェーズです。

つまり、最初は自分軸で自分だけを見ている、自分の成功だけを追い求める。それでいい。しかし一度自分が成功したなら、視線を上げてもう少し広く世界を見てみる。そうして周りの人を助けたり、周りの人と一緒になって何かを成功させる。そうすることが自分の喜びや幸せに繋がる。こうした世界観に移る(らしい)。

他人や世界に関しては自分のコントロール範囲外になるので、つまり幸福とは自分でコントロールして得られるものではないとも考えられるかもしれません。

非地位財

非地位財とは地位財のような目に見えるわかりやすいものではなく、たとえば健康であることとか、他者との関わりであるとか、そうした数値には表せないがあると幸福を得られるものを指します。

また、健康であることはセロトニンを生み出し、他者との関わりはオキシトシンを生み出す。この2つは幸福ホルモンと呼ばれており、この2つのホルモンを分泌すると人は幸福を感じる。

健康や他者との繋がりは自分軸というよりは他人軸、世界軸と考えることができそうです。

健康に関しては一見自分軸である自助努力にも見えそうですが、環境的要因や遺伝的要因が深く関係することを考えると、どちらかというと自分のコントロール外のことも深く影響をしているかなと思い、僕はこちらに入れています。

幸福因子

前野さんの提唱する4つの幸福因子のうち1つ「ありがとう」(感謝)だけは他者や環境に向けられるものと考えると、これは世界軸に入ると思います。

社会的資本

成功に通じる資本が人的資本・金融資産であったのに対して、幸福に通じる資本は社会的資本。つまり、どれだけ他者や社会と関わりがあるかが幸福になる要素である。それも、少数の強い愛で繋がる家族的なものと、多数のお金で繋がる友人的なものの2つの繋がりがあるといいと橘さんはおっしゃていました。

成功と幸福のマトリクス

これで成功と幸福に関しての定義は出来ました。そうすると、次にこの軸で世界を見た時、4つのマトリクスが生まれると思います。

手作りなので見づらかったらごめんなさい。。。

  1. 成功で幸福な人
  2. 成功で不幸な人
  3. 未成功で幸福な人
  4. 未成功で不幸な人

もちろん人生で目指すべきは自分軸で私的成功をしていて、さらに世界軸でも公的成功をして幸せな人である①ですよね。

すでに①に到達している人に関しては、、もう何もいうことがないと思います。そのまま世界をより良い場所にし続けてください、ありがとうございます。と言いたい。

考えなければならないのは②〜④にいる人のこれからの人生設計である。

僕自身どこに当てはまるかわかっていないにも関わらず、生意気にもどうしたら②〜④の人が①に行けるのか、もしくはどの道順を辿るべきなのかについて考えてみたいと思います。




順番は成功してから幸福の順

上で成功と幸福の定義を見てきて感じたのは、人生はまず自分が成功して、その次に周りが成功して幸福になる、という順なのだなということです。

これは、以前読んだフルライフという本で著者の石川喜樹さんも同じ様なことを書いていました。この本、非常にためになるので一読必須です!


 

また、僕も内容を簡単にまとめた書評記事を書いているので、そちらをお読みいただければザクッと内容がわかっていただけると思います。

書評-フルライフ

また、こちらの書籍を参考にして、人生いかに生きるべきかについて書いた記事がこちらになります。

自分磨き→強いチームづくり→自己実現

非常にざっくりまとめるとこんな内容になります。

人生の若いうちはハードワークとブランディングで自分を磨く(私的成功)。

次に周囲を巻き込み、それぞれの自分磨きをサポートすることで非常に強いチームを作り上げる(公的成功)。

すると個人としてではなく社会としての大きな課題解決としての自己実現を達成する。

ここからも、まずは成功(私的成功)、その次に幸福(公的成功)が人生の順番なのかなと考えることができそうです。

そう考えてマトリクスを眺めた時、進むべき人生の順番は④→②→①というふうに考えられそうです。

②にいる人

②にいる人はすでに私的成功を達成しているので、次に目指すべきは周囲を巻き込んでチームを作り、そこにいる一人一人の私的成功をサポートすることで強いチームを作ることができ、その強いチームで大きな社会課題を打ち破る。

そうすることで公的成功を達成して幸福になれるのかもしれません。

または、自身の健康や社会的繋がりを見直してみて、不健康であれば健康的な生活に改善する。社会的繋がりが希薄であればそれを構築するようにする。そうすることで、幸福は案外簡単に手に入るかもしれません。

④にいる人

なんだか上のマトリクスの図を見ると、④は最悪なように見えてしまいますが、④こそ全ての人のスタートラインだと思います。何もないゼロからみんなスタートする。

何度も書きましたが、人生の送るべき順番はまず自分が成功すること。そして次に公的成功。

まずやるべきことは能力を磨いてできることを増やす。そして自分というブランドを確立する。そうすることで「〇〇ができる△△さん」という認知が広まり、仕事が舞い込んでくるようになり、私的成功を達成する。そうしたら②のステージに移るので次は公的成功で①を目指す。

③にいる人

このマトリクスで一番難しいポジションなのは③にいる人なんだと思います。

まだ私的成功をしてないのに公的成功をしている。理想の自分にはなっていないのに、理想の世界が達成されていて幸せ。ちょっと矛盾しているというか。。

この③にいる人がどんな人なのかなって考えた時、僕が思ったのは幸福の基準を非常にミニマムにしてしまった人、できてしまった人なんだと思いました。(そして多分これは悪いことではない)

つまり普通人には欲があり、欲があるから成功して地位財を手に入れたいと考える。成功もある種の幸せ(ドーパミン的、短期的、興奮的な幸せ)を与えてくれるので。

地位財を手に入れるためにはがむしゃらに頑張る必要があるので、通常人は何も考えなければ④→②に行くのが順当な道なのだと思います。

しかし、④→③に向かった人というのは成功や地位財、ドーパミン的な幸福に興味がなかった人。もしくはそうした世界観に嫌気がさした人なんだと思います。

そして、太陽を浴びてるだけで幸せを感じられたり、昨今流行っているミニマリスト的な少ない物の方が幸せという人になる。このように幸福の基準をグレードダウンした人、できた人が②を目指さずに③のフェーズに入るのだと思います。

③にいると毎日幸せを感じられるのでこれでいいじゃんとなる。そしてそのままずっと小さな幸せの中で生きる。③の世界観とは僕はこういうことなんじゃないかと思っています。

ここからは個人で意見や考え方が分かれると思いますが。

正直、僕は③の世界で生きて幸せであれば、それでいいのではないかと考える人間です。自分の理想像が達成されなくても、幸せでいられるのであれば。

ただその一方で③のままだとできることは限られてくる。いつかこの世界観が嫌だー!ってなった時、③から簡単に出られないような状況になっている可能性もある。

そう考えたら、③で幸せになれることをリスクヘッジにしておいて、まずは②、①を目指す。目指したあとに③に戻ってもいいだろうし、②、①への道の途中で挫折したり大敗してしまったりした時の逃げ道に③を用意しておいてもいいかもしれない。

♢♢♢

この記事を書いていて思ったのは、僕自身もしかしたら③のフェーズにいたのかもしれない。笑

もしくは、例えば僕は人生最強にやばくなったらインドに逃げようっていうプランBを用意していますが、それが僕にとっての③の世界なのかもしれない。

今日はこの曖昧な言葉でよく語らえる「成功」や「幸福」とは一体なんなのかについて考えたことをつらつらと書かせていただきました。

最後までお読みいただきありがとうございます。

って話でした!




 

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